運城市
運城市(うんじょう-し)は中華人民共和国山西省西南部に位置する地級市。 古くは河東と呼ばれ、中国文明発祥の地(揺籃地)である中原の核であり、発祥後も首都を支える重要度の高い地域であった。中国最古の王朝夏朝においては、初代君主の禹が住む禹王城が置かれ首都として機能していた。後代、首都機能は運城市に隣接する山岳に囲まれ守りやすく、黄河の氾濫の影響を受けない洛陽市にしばしば置かれた。 黄河と黄河の支流で2番目に大きい汾河の合流地点であり、水利に優れ、黄河文明を育んだ黄土高原の肥沃な土により農業生産力は高い。 市内にある塩湖「解池」では、古くから塩の生産が行われている。唐朝の首都であった長安へ塩を送っていた塩の道には遺跡が点在している。近年は塩湖の汚染のため食用塩の生産は行われず、工業塩の生産が行われている。 こういった土地であることから、思想家の荀子や歴史家の司馬遷、三国時代の蜀漢の武将関羽など、運城市を出身とする著名人は多い。 地理山西省の西南部に位置し、中国王朝の首都となることが多い洛陽市をはじめ、運城市と洛陽市の間にあり三門峡ダムがある三門峡市、臨汾市、晋城市、陝西省渭南市、焦作市に接する。 黄河の氾濫で運ばれてくる肥沃な土に支えられ、小麦の生産が盛んで、小麦を使った麺類、饅頭などを主食とする。綿花は山西省の生産の90%を占めた。また、リンゴ、梨、桃、棗などの果物栽培も盛んである。万栄のリンゴなどの果実は2015年からアメリカへ輸出をしており農民の収入改善を行っている[1]。 川のほかに、周囲は中条山や呂梁山、太岳山などの山地があり、運城市は盆地となっている。中条山は古代重要であった銅の産地となっている。 人口519万4592人(2012年末)、年間降水量525mm、年平均気温13℃。 歴史運城での人類の活動は古く市内の芮城県風陵渡鎮からは180万年前の人類の遺跡が出土している(西侯渡遺跡)。 また華夏文化の揺籃地として、中国神話に登場する五帝の一人舜の都城である蒲阪、禹の安邑、中国最初の王朝といわれる夏の都城も運城地域に設けられていた。春秋時代は晋に属し、前669年には晋の献公により絳(現在の絳県)が都城に定められている。戦国時代に晋が韓・趙・魏に分裂した後は、魏の都城が安邑(夏県禹王城付近)に定められている。 秦の始皇帝による中国統一が為されると河東郡が設置され、それ以来行政改編が幾度となく実施されたが、河東の名称は中華人民共和国成立まで使用された。 中華人民共和国成立後は運城専署が設置され、1954年に臨汾専区が合併し晋南専区に改編、更に1970年に再度運城地区が設置されるなどの行政改編を受け、2000年6月に地級市として運城市が誕生し現在に至っている。 行政区画1市轄区・2県級市・10県を管轄する。
年表運城専区(1949年-1954年)
運城地区(1970年-2000年)
運城市
交通空港
鉄道 道路 高等教育機関
友好都市
出典
外部リンク |