鍋島 直柔(なべしま なおとう、1858年11月12日(安政5年10月7日) - 1910年(明治43年)2月7日)は、蓮池藩鍋島家第10代当主、貴族院議員。位階・勲等・爵位は正三位勲四等子爵。
経歴
佐賀藩主・鍋島直正の八男。肥前国生まれ。幼名は尚丸。1868年(明治元年)11月、鍋島直紀の婿養子となる。1870年5月、従五位に叙せられる。1871年11月、養父・直紀の隠居により家督を相続した。慶應義塾に入学した。1873年2月、明治政府からイギリス留学を許可された。当初、2年間の留学を予定していた。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1]。
日清戦争の役で軍資金を陸軍に寄附。1895年(明治28年)9月11日に補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され[2]、死去するまで在任した[3]。
栄典
親族
脚注
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、6頁。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』50頁。
- ^ 『官報』第308号「叙任」1884年7月9日。
- ^ 『官報』第895号「官庁事項 - 褒賞」1886年6月26日。
- ^ 『官報』第1353号「叙任及辞令」1888年1月6日。
- ^ 『官報』第2632号「彙報 - 褒賞」1892年4月11日。
- ^ 『官報』第2707号「叙任及辞令」1892年7月7日。
- ^ 『官報』第4813号「彙報 - 褒賞」1899年7月18日。
- ^ 『官報』第5351号「彙報 - 褒賞」1901年5月8日。
- ^ 『官報』第5507号「彙報 - 褒賞」1901年11月9日。
- ^ 『官報』第6508号「彙報 - 褒賞」1905年3月14日。
- ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第7986号「叙任及辞令」1910年2月8日。
参考文献
- 三田商業研究会 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年6月。NDLJP:777715。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。