霞城セントラル
霞城セントラル(かじょうセントラル)は、山形県山形市にある官民複合型高層ビル。JR山形駅西口に2001年(平成13年)1月1日にオープンした。県、市、エンドウが各3分の1を区分所有し、山形新都心開発が運営・管理を行っている。 現在、山形市内の建築物では最高の高さを誇り、ランドマークとなっている。 概要山形駅西地区(双葉町、城南町)では、1928年(昭和3年)に市の誘致企業である鉄興社(現:東ソー)が操業を始め、主に二酸化マンガンなどを製造していた。増産を重ねることによって設備の増強のほか用地も拡張し、駅に隣接する利点を活かし引き込み線も設け、最盛期の1960年(昭和35年)前後には、1000人超の従業員を抱え県内で最大規模の雇用を創出していた[3][注釈 1]。一帯は、工場のほか国鉄官舎(JR社宅)や機関区に加えて桑畑も広がるような駅裏の表現がピッタリとした場所だった[4]。 しかし、山形新幹線の開業や山形自動車道の延伸工事の進捗から広域交通条件が飛躍的に向上すると同時に、山形駅周辺を利用する人も激増し、”山形の顔”としての機能拡大が求められていた[1]。こうした状況を踏まえ、山形市が策定した山形市中心市街地の整備改善及び商業等の活性化基本計画「街・賑わい・元気プラン」に則り、山形駅周辺整備事業が計画され、その一環として山形駅西土地区画整理事業が施行され、公共が地区のモデルとして先導的に整備を行い、大規模で調和のとれた民間開発を誘引することを目的に西口新都心ビル「霞城セントラル」は建設された[1]。当初、行政サイドには「民間と行政が「5対5」に床面積を折半して入居する」との期待があり、民間診療所の入居話も出た。しかし実際には「3対7」の割合となり、県や山形市が運営するセンターや単位制高校などが入居する公共施設的色合いが強く出た形でのオープンとなった[5]。 2019年(平成31年)4月、山形市が中核市に移行することに伴い、県が担っていた同市の保健所業務が移譲され、3・4階に山形市保健所が入った[6]。 建物は、県、市、ビルの建設に当初から関わった総合商社・双日の完全子会社である山形新都心開発が各3分の1を区分所有していたが、2020年(令和2年)12月21日付けで山形新都心開発は、すべての区分所有権を遠藤商事グループの不動産会社エンドウに譲渡した。オーナーは代わったが、譲渡後も山形新新都心開発がテナントやビルを管理する仕組みの変更はない[7]。 事業コンペ整備手法には県内初となる事業コンペティション方式が採用され[注釈 2]、日建・大成グループの提案が採択された。その後、事業主体となる山形新都心開発が設立され、1998年(平成10年)7月に着工、2000年12月に竣工し、21世紀初日の2001年1月1日にオープンした。 特徴ファン等使用することなく、ビル全体で自然換気を行うボイドコアシステムが採用された。これによって、省エネルギーによる環境配慮やビル内の快適性向上ばかりでなく、ボイドコア内のスペースを配管空間としても利用することが可能となり、効率的な空調システムが構築されている。 低層部屋上に屋上庭園を設け、ビル利用者に潤いと安らぎを与えると同時に、夏季は蒸散作用、冬季は断熱作用を利用できる構造とした。ほかに、県内初となる山形熱供給による地域冷暖房施設(コジェネレーション)を備え、霞城セントラルのみならず山形テルサにも熱供給を行っている[8]。 5層吹き抜けで約1,000平方メートルの広さを持つ「アトリウム」(1F。高さは5F分ある。)では、天候に左右されずに多目的に利用することができる。最上階24階にある展望ロビーは無料で開放され、市街地の一望も可能である。また屋上には地元テレビ局が定点カメラを設置している。 名称名称は、1999年(平成11年)6月1日から7月27日まで一般募集され、海外、全国から4716通の応募があった。8月31日に高橋和雄知事、佐藤幸次郎市長などが審査した結果、山形の歴史・風格を感じさせる「霞城」を付けた作品15点が最優秀作品候補に選ばれ、それに県都の中心になるという願いを込め「セントラル」を付けた「霞城セントラル」が名称と決定した[9]。 沿革
ビル階層表・入居団体一覧
放送送信設備屋上には、2002年(平成14年)6月28日に予備免許が交付され[10]、10月18日に本免許(無線局免許状)が交付されたコミュニティ放送局「やまがたシティエフエム」の送信所が設置されていた[11]。しかし、同局は2016年(平成28年)7月21日で放送を終了し、22日に廃局となった[12]。
アクセス周辺ギャラリー
脚注注釈
出典
外部リンク
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