韓信 (韓国軍人)
韓 信(ハン・シン、한신)は、大韓民国の軍人、企業家。朝鮮戦争では第1連隊を指揮。太極武功勲章授与者。 経歴1922年12月、咸鏡南道永興郡に生まれる。本貫は清州韓氏[1]。咸興高等普通学校を卒業後、日本に渡り中央大学で法律を専攻した。1943年、中央大学卒業。学徒出陣して日本軍少尉。終戦後は故郷に戻ったが、共産政権を避けてソウルに行く。 1946年12月、警備士官学校第2期卒業、任少尉(軍番10183番)。第8連隊の創設に参加し、小隊長や中隊長を歴任。軍紀司令部行政官を経て1948年11月に第18連隊作戦主任に就任。 1949年、第18連隊副連隊長。1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると議政府方面に投入される。同年7月、水原-平沢-清州-尚州-安東の線で遅滞。同年8月9日、第1連隊長。釜山橋頭堡の戦いにおける杞渓・安康の戦いで活躍した。1950年12月の興南撤退作戦では、韓国軍で唯一橋頭保作戦に参加。1951年5月、大関嶺を固守し、第1軍団の反撃に寄与した。 1952年3月、歩兵学校戦術課長。1952年8月、第5師団参謀長。1953年5月、第5師団副師団長。同年12月、准将に昇進。休戦後の南原地区のゲリラ討伐作戦に参加。 1954年、諜報部隊長。1955年、輸送監。1956年7月、首都師団長。1959年4月15日、監察監[2]。1959年12月、少将に昇進。1960年、第2訓練所長。1961年、国防大学院修了。同年5月、軍事革命委員・国家再建最高会議最高委員・内務部長官。1963年7月、監査院長。1964年8月、第6軍団長。1966年1月、戦闘兵科教育司令官、中将に昇進。1968年2月、陸軍参謀次長[3]。同年8月、第2軍司令官。1969年5月、第1軍司令官。1970年8月、大将に昇進。1972年5月、合同参謀本部議長[4]。 1975年3月、予備役編入。その後は実業界に入り、同年アジア自動車会社社長に就任。1976年4月、アジア自動車会社会長。1977年、大韓重石鉱業公社(대한중석)社長。 賞勲
出典
参考文献
外部リンク
|