韓 鶴子(朝鮮語: 한 학자、ハン・ハクチャ、1943年2月10日(陰暦1月6日) - )は、世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会。通称: 統一教会、統一協会)の教祖・文鮮明の三番目の妻。世界平和統一家庭連合の総裁。関連団体である世界平和女性連合、天宙平和連合の総裁。本貫は清州韓氏[2]。
人物
金聖道率いる朝鮮独自のキリスト教の一派、聖主教の信者であった母の洪順愛(ホン・スネ)が宗教活動に熱中していたため、祖母に育てられたという。やがて順愛は文鮮明を「再臨のメシア」と信じる世界平和統一家庭連合の熱心な信者となり、その影響により世界平和統一家庭連合の教えに触れた。17歳のとき、当時40歳であった文鮮明の伴侶として選ばれた。
結婚当時、文鮮明は伴侶が誰か分からない中、天の命によって結婚の準備をしていたが、多くの世界平和統一家庭連合の信徒達の夢に、韓鶴子が配偶者であると明らかにされ、1960年3月27日(陰暦3月1日)に婚約して、4月11日に結婚した。
統一教会においては歴史上初めて完成した女性として全人類の「真(まこと)の母」と意義付けされ、教団内では「真のお母様」と呼ばれる。「真の父」であるとされる夫の文鮮明とともに呼ぶときは「真の(御)父母様」(正式には「天地人真の父母様」)と呼ばれる[4]。
文鮮明との間に14人の子供(4人は既に他界)と多くの孫を持つ。
1990年頃までは文鮮明と同行して活動することが多かったが、1991年の「世界平和アジア婦人連合」(後の「世界平和女性連合」)創設以降、世界各地を講演で訪問するようになった。また、出入国管理法の規定で日本に入国できない夫の代わりに度々来日している。
来歴
- 2月10日(陰暦では1月6日)の午前4時半に、日本併合時代の朝鮮半島の平安南道の安州の信里という村(現在は北朝鮮領)に韓承運(ハン・スンウン)と洪順愛(ホン・スネ)の一人娘として生まれる(陰暦の1月6日は夫、文鮮明と同じ誕生日[注 1])。洪家の家系は三代続けて娘一人の家系であるという。父親「とされる」韓承運は婿養子になるのを拒否して鶴子がお腹にいる7か月のときに出て行ったという。
- 1月4日 朝鮮戦争の最中、江原道(カンウォンド)春川(チュンチョン)市に一時寄居し、そこの小学校に通う[5]。
- 母、順愛が初めて文鮮明と面会する。
- 母と共にソウルに転居。
- 3月 小学校を卒業。ソウルの龍山区青波洞(チョンパドン)の世界平和統一家庭連合本部で文鮮明と初めて出会う[5]。
- 済州島で暮らす。「孝敦(ヒョウドン)初等学校」に通う。 母親の洪順愛は熱心なキリスト教徒であったとされ、金聖道(キム・ソンド)の聖主教団や、腹中教などの教団を経てこの済州島で伝道され、世界平和統一家庭連合(統一協会)の信仰を持つようになる。 母親が教会で奉仕生活(文鮮明の食事係)をするため鶴子と祖母は順愛の弟に引き取られた。
- ソウルの「善正(ソンジョン)女子中学」を卒業。カトリック系統の「聖ヨセフ病院」の看護補助員となる。
- 1960年(17歳)
- 17歳[注 2]になった3月17日(陰暦3月1日)、41歳[注 2]の文鮮明と佳約式(約婚式)が行われる。
- 4月11日 「聖婚式」と呼ばれる儀式を行う[5](教会では人類始祖のアダムとエバが失敗した内容をやりなおすものとされ、新約聖書のヨハネの黙示録にある「子羊の婚姻」と意義付けられている)。
- アメリカで行われた第13回「科学の統一に関する国際会議」(文鮮明が提唱した世界平和統一家庭連合の運動の一環)において、アメリカで収監中の夫に代わり、演説を行う[4][5]。
- 4月10日 韓国で、女性運動のNGO、「世界平和女性連合」の創設大会で同会の総裁として講演。
- 5月11日~ 「理想世界の主役になる女性」または「世界平和における女性の役割」をテーマに世界巡回講演。韓国、日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、ロシア、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、中国。
- 5月20日~8月 米国44ヶ都市で「真の父母と成約時代」のテーマで講演。
- 9月10日~30日には日本の27か所で、
- 10月4日~31日には韓国の主要大学40校で、
- 10月31日には韓国の国会議事堂議員会館会議室で、
- 11月2日から12月22日には世界39か国43か都市で、同様の講演。
- 7月28日 米国議会ダークセン上院議員会館で、「神様、女性と真の家庭」のテーマで講演。
- 9月7日 ニューヨーク市の国際連合の第二会議場で、「神、女性、そして世界平和」のテーマで講演。
- 9月14日~20日 日本で、「真なる家庭と私」というテーマで講演。
- 10月6日~11月2日には韓国で講演。
- 2月23日~3月6日 日本の12か都市で、「文鮮明先生御言葉訓読大会」を行う。
- 4月1日~16日にはアメリカ、カナダで行う。
- 夫、文鮮明から表彰牌を授与される。
- 5月8日~19日 南米4か国で「訓読大会」。
- 5月20日~29日にはヨーロッパ各国で、
- 5月31日にはカナダで。
- 6月23日 国連NGO(非政府組織)の「世界平和教育者国際連合」(IAEWP) から「グランプリ平和賞」を授与される。
- 4月26日~5月10日 「天宙平和連合」(UPF) 共同総裁として、世界120か都市巡回講演を行う。
- 10月25日 世界巡回を開始。
- 2月8日 「ワールドサミット2019」(韓国・ソウル)
- 2月9日 第3回 鮮鶴平和賞受賞式(韓国・ソウル)
- 4月6日 「Peace Starts with Me. Blessing America」(米国・カリフォルニア州)
- 6月21日 神米国ACLC特別総会(米国・ラスベガス)
- 9月6日 サントメ・プリンシペ孝情真の家庭祝祭(サントメ・プリンシペ)
- 10月5日 Japan Summit in NAGOYA(日本・名古屋)
- 11月19日 アジア太平洋サミットカンボジア(カンボジア・プノンペン)
- 11月22日 世界平和華人連合世界大会(台湾)
- 11月28日 アフリカ大陸サミット・ニジェール(ニジェール)
- 12月7日 アフリカ大陸サミット・孝情家庭祝福祝祭(南ア共)
- 12月28日 神統一世界のための世界キリスト教聖職者希望前進大会(米国・ニューアーク)
家族
- 洪順愛(ホン・スネ) - 韓鶴子の母。1914年3月18日、平安北道定州にて、洪唯一と趙元模の長女として生まれる。平安南道安州郡新義里で育つ。弟に洪順貞がいる。1933年または1934年3月5日に結婚。1933年から「黄国周」の伝道隊員として活動[10]。1936年4月、平壌聖徒学院卒業。同年、母の趙元模と共に「新イエス教会」をやめ、鐵山の「聖主教」に移る。1942年2月末、韓承運と出会う。1943年2月10日、平安南道 の安州郡の信里で、韓承運とのあいだの子である鶴子を出産[11]。1952年、済州島に避難。何ヶ月か生活し、婚約者(もしくは夫)である「鄭錫鎮(錫珍)」(鄭恒俊と金聖道の次男。「鄭錫天」の弟。別名「鄭平和」)と暮らした。教義により性交が禁じれていため、鄭錫鎮が出て行き、別れた。1955年12月、統一教会に入信。1989年11月3日に死去。享年76。
- 韓承運(ハン・スンウン) - 韓鶴子の父。韓承雲ともされる。1909年生まれ。1942年10月頃、妊娠中の洪順愛の親からの「婿養子として迎える」という話があるが、これを断り、鶴子の出産前に洪順愛と別れた。1978年に死去。2016年、洪順愛生誕103周年を記念して、韓承運の墓は洪順愛の墓と合葬された。
著書
脚注
注釈
- ^ 韓国の女性誌『女苑』(1982年11月号)で韓 鶴子の特集が掲載されたが、そこでは「誕生日が同じだけでも「天生縁分」というが、この夫婦たるやすでに天が決めておいた夫婦ではないだろうか。」と記している。
- ^ a b 統一教会では韓鶴子と文鮮明の結婚年齢を数え年でそれぞれ、16歳、40歳と語っている。
- ^ 「シンクタンク2022」は複数の世界的な指導者と専門家により、朝鮮半島の平和的な統一を促進する目的で発足した。 シンクタンク2022は世界的なネットワークであり、韓国で平和を構築するための現実的な解決策を見出そうとしている2000名以上の専門家で構成されている。この新規構想の議長となった元国際連合事務総長の潘基文は、韓鶴子、天宙平和連合(UPF)、そしてシンクタンク2022の指導者達に、大韓民国と北朝鮮との間の平和を推進するためのプラットフォームを設立したことに対して感謝の意を表した。シンクタンク2022は、天宙平和連合の国際的な団体と関連した専門調査委員会を設置し、南北朝鮮の間の非武装地帯の国連平和公園の建設、大韓民国と日本を結ぶ海底トンネルの開通工事、南北離散家族の再会支援等の平和構築のための構想を実行に移すことにより、世界平和実現に貢献しようとしている。
出典
参考文献
関連項目
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