須佐神社(すさじんじゃ)は、島根県出雲市にある神社である。須佐之男命の御魂を祀る古社。式内小社で、旧社格は国幣小社。出雲國神仏霊場第十八番。
歴史
『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命を祖とすると伝える。
旧社地は神社の北方にある宮尾山にあったとされる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。
『出雲国風土記』に「須佐社」と記載されている。『延喜式神名帳』に「須佐神社」と記載され、小社に列している。中世には「十三所大明神」「大宮大明神」、近世には「須佐大宮」と称した。
明治4年(1871年)に延喜式に記載される「須佐神社」に改称し、明治5年(1872年)に郷社に列格し、翌明治6年(1873年)に県社に、明治33年(1900年)に国幣小社に昇格した。
祭神
- 主祭神
- 配祀神[注 1]
施設
- 本殿・幣殿・拝殿
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- 本殿は島根県指定文化財で、文久元年(1861年)建立[1]。方2間(約4 m)、高さ約12 mの大社造で、向かって右の1間に入口となる階(きざはし)がある。[2]。それ以前のものは、元応2年(1320年)の書の大宮古図では、方4間と記載されている。
- 神楽殿
- 社務所
- 潮(塩)の井
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- 須佐之男命が自ら塩を汲み、この地を清めたと伝わる。日本海に続いてるとされ、日本海が満潮の時は井戸付近の地面に潮の花が吹く。分析すると「芒硝含有食塩泉」で弱アルカリ性との結果であった[3]。
- 大杉
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- 本殿の背後にあり、社伝によると、樹齢は1300年ほど推定され、幹周り7メートル、高さ30 m程度[4]。江原啓之の「神社紀行」が発刊されて以降、この杉の樹皮を剥がして持ち帰る不心得者が多数現れた為、現在は幹の周辺に柵がめぐらされている。
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境内入り口鳥居
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拝殿
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幣殿
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神楽殿
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潮(塩)の井
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御神木の大杉
境内社
- 天照社
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- 祭神:天照大神。神社の前の道路を挟んで向かい側にある。「上の御前さん」、「上社」とも呼ばれる[5]。中世には伊勢宮と呼ばれた。
- 東・西末社
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- 祭神:天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野樟日命、市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命[5]。
- 三穂社
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- 祭神:三穂津比売命、事代主命。「下の御前さん」、「下社」とも呼ばれる[5]。
- 稲荷社
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- 祭神:稲倉魂命[5]。
- 随神門
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- 祭神:豊磐間戸神と櫛磐間戸神[5]。
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天照社拝殿
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東末社
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西末社
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三穂社
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稲荷社
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随神門
境外社
- 厳島神社
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- 祭神:市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命(宗像三女神)。「洗度社」、「祓戸社」とも呼ばれる[5]。
- 須賀神社
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- 祭神:素戔嗚尊。「才神楽さん」とも呼ばれる[5]。
祭礼
- 1月1日 歳旦祭
- 2月3日 節分祭
- 2月17日 祈年祭
- 4月18日 例祭
- 朝覲祭 - 例大祭の神事の後に行われる、本殿から向かいの天照社まで渡御する行幸の神事[6]。
- 4月19日 古伝祭
- 陵王舞 - 古伝祭の神事に引き続き行われる。修理固成・耕田播種の舞楽が行われる[7]。元は、陰陽師系の神人が舞ったものが変容したものと考えられる。
- 百手神事 - 午後に行われる、悪魔退散・五穀豊穣を祈願する弓射神事[8]。
- 6月30日 大祓
- 8月15日 切明神事
- 念仏踊り - 午後に行われる。境内に2本の神事花が立てられ、その下に着流しを着た踊り手が円陣を描きながら「ナーマミドー」と唱え、笛に合わせて単調な動きで踊る。中世に田楽系の踊りに念仏聖たちの影響が加わったと考えられる、神仏習合色の強い踊りである。
- 10月17日 秋季祭
- 11月23日 新嘗祭
- 12月31日 大祓
- 毎月15日 月次祭
文化財
国の重要文化財
島根県指定
- 有形文化財
- 無形民俗文化財
交通
- 出雲市駅から一畑バス「出雲須佐行き」に乗車し、須佐バス停で下車。徒歩3 km。
- 車利用の場合、境内横に駐車場十数台分あり。
脚注
注釈
- ^ 配神の三柱は天文年間まで須佐川を挟んだ対岸の社地(現:ゆかり館敷地内)に祀られていたとされる。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク