10月6日市
10月6日市(じゅうがつむいかし、英語: 6th of October City、 مدينة السادس من أكتوبر, Madīnatu s-Sādisi min Uktūbar, マディーナトゥ・ッ=サーディスィ・ミン・ウクトゥーバル)は、エジプトのギーザ県にある都市である。2011年4月までは旧10月6日県の県都でもあった。 概要エジプト北西部のギーザ県、ピラミッドの近くにある、首都カイロの衛星都市。ギーザのピラミッドからの距離は17キロメートル、カイロ中心部からは32キロメートルの位置にある。 1979年より開発が始まったばかりと歴史はまだ浅い。市域面積は400平方キロメートル、人口は50万人を数えるこの町では現在開発が進んでおり、多数の企業、ミスル科学技術大学、ナイル大学や10月6日大学などの多数の大学、外資系企業も入居する広大な工業団地、空港、大規模ショッピングモールが存在する。様々な国籍の学生が滞在している国際的な都市でもある。また、アフリカサッカー連盟(CAF)の本部所在地でもある。 気候ケッペンの気候区分では、ギーザやカイロのように砂漠気候 (BWh)に属する。
近郊カイロとの間にはテーマパークやリゾート、邸宅などからなるニュータウン「ドリームランド」や、アブダビ首長国のザーイド首長の名をとったニュータウン「シェイク・ザーイド・シティ」といった近郊都市が広がる。 歴史「10月6日」(アッ=サーディス・ミン・ウクトゥーバル)とは、1973年10月6日に開戦した第四次中東戦争の「勝利」を記念して名付けられた地名である。10月6日はエジプトの軍記念日にもなったほか、橋や道路などさまざまな場所に10月6日という名が名付けられている。街の創設を指揮したアンワル・アッ=サーダート(サダト)大統領が1981年に暗殺された日でもある。 1979年、サダト大統領は大統領令504号によって首都近郊のギーザ県の砂漠に10月6日市の建設を開始した。400平方キロメートルという広大な範囲に建てられる衛星都市の将来の計画人口は370万人とされたが、まだ多くの未開発地や入居されていない建物を抱えている。 2008年4月には新たに創設される10月6日県の県都となったが、エジプト革命後の2011年4月に10月6日県は解消され再びギーザ県に編入された。 脚注
関連項目外部リンク |