1929年のル・マン24時間レース
1929年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1929 )は、7回目[1]のル・マン24時間レースであり、1929年6月15日から6月16日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。 概要コースは17.262km/周から16.340km/周へとわずかに短縮された[1][2]。 出走したのは25台[1][2]。完走したのは10台[1][2]。 ベントレーはベントレー・スピード6の1号車、ベントレー・4½リットルの8号車から11号車の4台、計5台を投入した[3]。11号車のみペロット製のブレーキを装着していたという[3]。 1周目を終わった時点でベントレーは前から1号車、8号車、9号車、10号車、11号車、と5位までをゼッケン番号順に占めて走っていた。 7周目にバーナード・ルービン(Bernard Rubin )/アール・ハウ(Earl Howe )組[3]の11号車[3]がダイナモシャフト破損によりリタイヤし、ル・マンで最初にリタイヤしたベントレーとなった[3]もののそれ以外の4台は完走した。 ウルフ・バーナート(Woolf Barnato )/ヘンリー・バーキン(Henry Birkin )組のベントレー・スピード6の1号車が24時間で2843.830km[1][3][2]を平均速度118.492km/h[1][3]で走って優勝した[1][3]。C・H・モワティによると1号車は10周目にラップ平均速度で123.305km/hの新記録を出し、その後さらに133.551km/hに更新したというが、当時の新聞「オート」のモーリス・バーソンの記事によれば新記録は18周目で、タイムは7分7秒、平均速度は137.929km/h、最高速度は180km/hであったという[3]。 第2位はジャック・ダンフィー(Jack Dunfee )/グレン・キッドストン(Glen Kidston )組のベントレー・4½リットル9号車、第3位はダドリー・ベンジャフィールド(Dudley Benjafield )/アンドレ・ド・エアランガー(André d'Erlanger )組のベントレー・4½リットル10号車、第4位はフランク・クレメント(Frank Clement )/ジャン・シャサーニュ(Jean Chassagne )組のベントレー・4½リットル8号車と上位4位までを独占し完全勝利と言える状況であった。
出典参考文献
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