1954年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1954 )は、22回目[1]のル・マン24時間レースであり、1954年6月12日から6月13日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。
概要
メルセデス・ベンツは参加しなかった[2]。
ジャガーは新型のジャガー・Dタイプを投入して来た[3]。
タルボはピエール・ルヴェーに車両を提供した[2]。
出走したのは57台[4][1]。
ジャガーとフェラーリの首位争いとなった[5]。
ルヴェーはリノ・ファイエン(Lino Fayen )と組んで上位10位以内を維持したがブレーキが故障、1952年のル・マン24時間レースで突っ込んだ場所の近くに突っ込んで車両が大破し、リタイヤとなった[2]。
完走したのは18台[1][4]。
フロイラン・ゴンザレス/モーリス・トランティニアン組[4][1]のフェラーリ・375[1]プラス、4号車が24時間で4061.150km[4][1][5]を平均速度169.215km/h[1][5]で走って優勝し、前回優勝のトニー・ロルト(Tony Rolt )/ダンカン・ハミルトン(Duncan Hamilton )組[4][1]のジャガー・Dタイプ、14号車が2位に入った。
出典
- ^ a b c d e f g h 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。
- ^ a b c 『死のレース 1955年 ルマン』pp.141-158「ルヴェー」。
- ^ 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。
- ^ a b c d e 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。
- ^ a b c 『ル・マンの英国車』pp.54-56「1954」。
参考文献