1954年の大阪タイガース(1954ねんのおおさかタイガース)では、1954年シーズンの大阪タイガースの動向をまとめる。
この年の大阪タイガースは、2回目の松木謙治郎監督体制の5年目にして最後のシーズンである。
概要
松木監督就任5年目のシーズンは開幕投手に小山正明を据えるが、これが吉となり開幕からまずまずの滑り出し。しかし、この年は4連覇を目指す巨人や球団創設以来一度も優勝できなかった中日が勝ちに勝ちを重ねたこともあり、チームは6月以降3位で定着。7月25日に放棄試合事件、通称「第2次難波事件」(または「7.25事件」)が起き、松木監督と主砲の藤村富美男が退場処分を受けた。没収試合後の影響もあったのかチームは成績が伸びず、前年とほぼ横ばいの成績ながらも貯金14の3位で終了。シーズン終了後、松木監督は没収試合の責任を取り辞任した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1954年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
|
5月終了時
|
6月終了時
|
7月終了時
|
8月終了時
|
9月終了時
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最終成績
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1位
|
巨人 |
--
|
中日 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
中日 |
--
|
中日 |
--
|
中日 |
--
|
2位
|
中日 |
1.5
|
巨人 |
0.0
|
中日 |
3.0
|
中日 |
4.0
|
巨人 |
1.5
|
巨人 |
6.0
|
巨人 |
5.5
|
3位
|
大阪 |
2.5
|
大阪 |
2.0
|
大阪 |
6.5
|
大阪 |
8.0
|
大阪 |
10.0
|
大阪 |
15.0
|
大阪 |
16.0
|
4位
|
国鉄 |
5.0
|
国鉄 |
4.0
|
国鉄 |
7.5
|
国鉄 |
13.0
|
国鉄 |
22.0
|
広島 |
26.0
|
広島 |
29.5
|
5位
|
広島 |
10.0
|
広島 |
7.5
|
広島 |
13.5
|
広島 |
15.5
|
広島 |
22.0
|
国鉄 |
27.0
|
国鉄 |
32.0
|
6位
|
洋松 |
11.0
|
洋松 |
19.0
|
洋松 |
26.5
|
洋松 |
31.5
|
洋松 |
43.5
|
洋松 |
51.0
|
洋松 |
55.0
|
オールスターゲーム1954
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ベストナイン
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選手名 |
ポジション |
回数
|
渡辺博之 |
外野手 |
初受賞
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脚注
注釈
- ^ 当時の阪神甲子園球場には夜間照明設備はなかった。
出典
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |