1954年スイスグランプリ (1954 Swiss Grand Prix) は、1954年のF1世界選手権第7戦として、1954年8月22日にブレムガルテン・サーキットで開催された。
レースは66周で行われ、メルセデスのファン・マヌエル・ファンジオが優勝、フェラーリのホセ・フロイラン・ゴンザレスが2位、ファンジオのチームメイトのハンス・ヘルマンが3位となった。
レース概要
メルセデスのファン・マヌエル・ファンジオが1周目からトップを譲らず完勝。当レースからマセラティのワークスに昇格したスターリング・モス、フェラーリのホセ・フロイラン・ゴンザレスとマイク・ホーソーンの3人が2位を争ったが、モスのエンジンがミスファイアを起こし、ホーソーンも燃料ポンプのトラブルでストップしたことで、ゴンザレスの2位は確定した。メルセデスのカール・クリングは、序盤にオーウェン・レーシング・オーガニゼーション(BRMの開発研究用にマセラティ・250Fを購入し、ディスクブレーキを装着した)のケン・ウォートンと競り合って出遅れ、モスとホーソーンのリタイアにより3位に上がるが、エンジンが壊れてリタイア、チームメイトのハンス・ヘルマンが3位となった[1]。
ファンジオは優勝とファステストラップの9点を加算し、2戦を残して1951年以来3年ぶり2度目のチャンピオンを獲得した[1]。
翌1955年に起きたル・マン24時間レースの大事故によりスイス国内でのモータースポーツが禁止されたため、当レースがスイス国内で開催された最後のスイスグランプリとなった。その後、1975年と1982年(1975年は非選手権)にフランスのディジョン・プレノワ・サーキットでスイスグランプリが開催されたが、これはフランス国内で年内に2レースを行うために「スイスグランプリ」の名を冠しただけであり、スイス国内でのモータースポーツ開催は、2018年6月にチューリッヒでフォーミュラEのチューリッヒE-Prixが開催されるまで、実に64年もの歳月を要することとなった[2]。
エントリーリスト
- 追記
- ^1 - マンヅォンは予選でアクシデントを起こし、マグリオーリに交代[4]
結果
予選
決勝
注記
第7戦終了時点でのランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
参照文献
外部リンク