1956年の国鉄スワローズ(1956ねんのこくてつスワローズ)では、1956年の国鉄スワローズの動向をまとめる。
この年の国鉄スワローズは、宇野光雄選手兼任監督の1年目のシーズンである。
概要
1950年の球団創設以来、万年Bクラス状態のチームを変えるべく1954年に巨人から移籍した宇野光雄がチームの新監督に就任。宇野監督は巨人への対抗心から、金田正一などの主力投手を巨人戦にぶつけた。しかし、肝心のチーム成績は借金こそ1ケタに減ったものの11勝13敗2分で健闘の巨人戦以外の戦績がおろそかになってしまいチームは順位を前年から1つ上げた4位で終わり、優勝の巨人に21ゲーム差を付けられた。投手陣では金田がこの年も健在で20勝以上を稼ぎ、316奪三振で最多奪三振と沢村賞のタイトルも同時に受賞するなど好調で、チーム防御率もリーグ4位の2.64と健闘。打撃陣では佐藤孝夫・町田行彦・箱田淳が安定した成績を残し、チーム4位の原動力となった。しかし、2位の阪神に9勝17敗、3位の中日には10勝16敗でそれぞれ負け越し台風の目にはならなかった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1956年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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大阪 |
--
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
大阪 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
中日 |
1.0
|
大阪 |
1.0
|
中日 |
1.5
|
大阪 |
2.0
|
巨人 |
2.0
|
大阪 |
1.5
|
大阪 |
4.5
|
3位
|
巨人 |
2.0
|
中日 |
1.0
|
大阪 |
4.0
|
中日 |
5.5
|
中日 |
5.5
|
中日 |
4.0
|
中日 |
10.0
|
4位
|
広島 |
3.0
|
国鉄 |
7.5
|
国鉄 |
9.0
|
国鉄 |
11.5
|
国鉄 |
13.0
|
国鉄 |
15.5
|
国鉄 |
21.0
|
5位
|
国鉄 |
4.0
|
広島 |
9.0
|
大洋 |
13.0
|
広島 |
16.5
|
広島 |
21.5
|
広島 |
28.0
|
広島 |
37.5
|
6位
|
大洋 |
5.0
|
大洋 |
11.5
|
広島 |
14.5
|
大洋 |
18.5
|
大洋 |
24.0
|
大洋 |
32.0
|
大洋 |
41.0
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オールスターゲーム1956
できごと
選手・スタッフ
[2]
表彰選手
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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