1987年の全日本F3選手権
1987年の全日本F3選手権(1987ねんのぜんにほんF3せんしゅけん)は、1987年(昭和62年)3月7日 - 8日に鈴鹿サーキットで開幕し、同年12月5日 - 6日に鈴鹿サーキットで閉幕した全10戦による1987年シーズンの全日本F3選手権である。 シリーズチャンピオンはロス・チーバー(アメリカ)が獲得した。 概要参戦するマシンは、ラルトが最新型のRT31をこの年用にリリースしたが、小変更にとどまっておりRT30やRT30-86でもまだ上位をうかがえる戦闘力を持っていたことからRT30での参戦者も多く、ラルトシャシーが最大勢力となった。レイナードも新型873シャシーを投入し全日本でのシェアを拡大しつつあったがまだ10台に満たなかった。 エンジンは、この年フォルクスワーゲン・GXエンジンのユーザーが増加した。全日本のトップチームではそれまでLe Garage COXレーシングが主に使用していたが、佐藤浩二がGXエンジンで1985年のチャンピオンを獲得以後徐々にユーザーを増やし、この1987年ではGXエンジンの新規開発はすでに止まっている状況だったが、参戦エンジンの中で最も重量が軽く、信頼性も確認できているためトヨタ・3S-Gエンジンと並んで多くのチームが使用するエンジン2大勢力となった[1]。 チャンピオン争いは、同じトヨタ・3S-Gエンジンを使用しシャシーが異なるロス・チーバー(レイナード・873/フナキRacing)と小河等(ラルト・RT31/トムス)がシーズンを通してタイトル争いを展開した。獲得ポイントが同点で最終戦・鈴鹿を迎えたが、有効ポイント制のため小河は2位以上、チーバーは3位以上の結果でなければポイントが加算されないというもつれた争いになった。予選ではフロントロウをチーバーと小河が獲得。しかしレースではスタート直後の第1コーナーで小河と、予選4番手からスタートでの浮上を狙った中谷明彦が接触し中谷はそのままリタイヤ。小河はスピンし大きく後れ、真後ろの二台がいなくなったことで首位チーバーと2位以下との差は序盤から開き以後独走。そのままチーバーが最終戦を制してシーズン4勝目を挙げ、シリーズチャンピオン獲得を決定した。レイナードシャシーは全日本F3フル参戦2年目にして王者ラルトを破り初チャンピオン獲得を達成した。 この1987年まで全日本F3ではブリヂストン・ダンロップ・ヨコハマADVANの3社によるタイヤ供給の競争も見どころとなっていたが、F3のイコールコンディションを保ちドライバー育成のカテゴリーでもあるという理念からコントロールタイヤの導入(ワンメイク化)への移行が協議され、シーズン終了後、翌年より使用タイヤのワンメイク化が決定。全参加車両がブリヂストン(3年契約)での参戦となることが決定した[2]。 エンジンに関してもシーズンオフに翌年以後への動きがあり、無限がホンダ・プレリュードの2リットルDOHCエンジンをベースに開発したF3用エンジン「MF204」を発表し、F3に参戦開始することを正式に発表した。希望があれば88年秋より市販も予定していると表明された[3]。 エントリーリスト
スケジュールおよび勝者
シリーズポイントランキング
脚注外部リンク |