AELリマソール
AELリマソール(希: Αθλητική Ένωση Λεμεσού , ラテン文字転写: Athlitiki Enosi Lemesou)は、キプロス・リマソールに本拠地を置く総合スポーツクラブである。本項ではサッカーチームを中心に記述するが、バスケットボールチーム(男女)、バレーボールチーム(女子)、フットサルチーム、ハンドボールチーム(女子)、クリケットチームも抱えている。男子バスケットボールチームは、ヨーロッパ王者になった経験があるキプロスで唯一のクラブである。全競技を通じて240もの公式タイトルを獲得しており、キプロスで最も成功を収めた総合スポーツクラブとされている[2][3]。サッカーチームはACオモニア、APOELニコシアに次いでキプロスで3番目に人気のあるチームとされている。 歴史AELは1930年10月4日に設立され、初代会長にはStavros Pittasが投票で選出された。サッカーチームの初試合は1931年1月6日のPSC戦であり、6-1で勝利した[3]。1934年に初の全国選手権優勝を飾ったが、これは非公式タイトルとされている[4]。1934-35シーズン、初の公式な全国選手権であるキプロス・ファーストディビジョンが初開催されると、AELは8クラブの創設メンバーのひとつとなった[3][4]。1940-41シーズンには、優勝プレーオフでAPOELニコシアを2試合合計4-3で破り、リーグ戦初優勝を飾った[4]。その後は12年間優勝から遠ざかったが、1952-53シーズンに2度目の優勝を飾った[3][4]。1988-89シーズンのキプロス・カップでは、決勝でアリス・リマソールFCを延長の末に3-2で破り、6度目の優勝を飾った[5][6]。それ以降は20年以上もトロフィーに見放され、2012年まで主要タイトルを獲得できなかった[7]。 2010-11シーズンは期待を裏切る7位に終わり、2011年3月にはパンボス・クリストボウロウ監督が就任[8][9]。2011-12シーズンはファーストラウンド(26試合制、14クラブによる総当たり)開幕戦から5戦無敗・無失点と好スタートを切ると、最終的に勝ち点60を獲得し、2位のACオモニアに勝ち点3差で首位となった[10]。7失点はリーグ最少だった。順位を決定するセカンドラウンド(6試合制、ファーストラウンド上位4クラブによる総当たり)では2勝2分2敗だったが、ACオモニアやAPOELニコシアとの勝ち点差を守り切り、1967-68シーズン以来(44年ぶり)となるリーグ優勝を飾った[11][12][13][14][15]。ジョゼ・モウリーニョ監督の名前をもじって、クリストボウロウ監督はファンから「パンボウリーニョ」というニックネームを授かった。同シーズンはキプロス・カップ決勝でも決勝に進出し、クラブ史上初のダブル(2冠)達成のチャンスだったが、ACオモニアとの決勝ではブラジル人ストライカーのアンドレ・アウヴェスに決勝点を決められ、0-1で敗れて準優勝に終わった[16]。 スタジアム14,000人収容の多目的スタジアムであるトシリオン・スタジアムをホームスタジアムとしている。トシリオン・スタジアムはオリンピア・スタジアムという名前でも知られており、アポロン・リマソールとアリス・リマソールFCのホームスタジアムでもある。トシリオン・スタジアムは慈善家のPetros I. Tsirosの助けを借りて 1975年に建設されたため、スタジアム名に彼の名が付けられた。 サポーター1984-85シーズンのキプロス・カップ決勝・EPAラルナカ戦の際には、約15,000人ものAELファンがニコシアに駆け付けた。2008-09シーズンのキプロス・カップ決勝の際には、14,000人ものAELサポーターがリマソールのGSPスタジアムを訪れた。計15,000枚ものチケットが売られ、そのうち9,000枚は1日で捌けたが、これは人口約90万人のキプロスでは異例の出来事だった。中心的なサポーターグループとして「SY.F.AEL」(ΣΥ.Φ. – Σύνδεσμος Φιλάθλων)が挙げられる。AELのサポーターグループはキプロス国内に留まらない。現英首相ボリス・ジョンソンはAELのファンである。ジョンソンは2011年にキプロスを訪れ、「君たちのサッカーはなんて愉快で楽しいのだろう。実に素晴らしい」と述べた。 タイトルトップチーム
U-21チーム
U-17チーム
過去の成績
欧州の成績
歴代会長
歴代監督
歴代所属選手→詳細は「Category:AELリマソールの選手」を参照
現所属メンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
脚注
外部リンクInformation related to AELリマソール |