前作『Beat haze odyssey』(2000年)リリース後、氷室は「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000 "BEAT HAZE ODYSSEY"」と題したコンサートツアーを同年10月18日の結城市民文化センターアクロからツアーファイナルとなった12月31日の国立代々木競技場 第二体育館公演まで21都市全36公演を実施[4]、約10万人を動員した[5]。本ツアーにて12月31日にライブを行って以降、氷室は定期的にカウントダウンライブを行うようになったが、その理由として本来であれば毎年アルバムをリリースしてツアーを行いたいが創作が追い付かず、アメリカ合衆国に居住しているためファンと接する機会がない事から開催するようになったと述べている[6]。
2002年10月に氷室は「BeatNix」レーベルを擁していたポリドール・レコードから離脱し古巣の東芝EMIに移籍する事を発表[7]。その後東芝EMI所属のディレクターであった子安次郎に対し、氷室は移籍第一弾としてデビュー15周年という区切りで過去作品の集大成をリリースする事を要望し、4作目のベスト・アルバム『Case of HIMURO』(2003年)がリリースされる事となった[8]。リリース後の同年7月20日には同作を受けた1日限りのライブ「15th Anniversary Special LIVE Case of HIMURO」が開催され[9]、約3万5千人を動員した[10]。3万枚用意されたチケットは発売直後15分で完売し、2年半ぶりに行われたこのライブでは4時間に亘り全36曲が演奏された[10]。また、同ライブの模様を記録したライブ・ビデオ『CASE OF HIMURO 15th Anniversary Special LIVE』が同年11月25日にリリースされた[10]。
子安は本作に関して、「ものすごく尖っているというか。前向きに攻めている感じのアルバム」と述べている[11]。子安は収録曲の内「RAP ON TRAP」が最も印象に残っていると述べ、同曲が日本のマーケットでどうのように受容されるのかという氷室からの投げ掛けであったのではないかと推測した他、間奏中に作詞を担当した森雪之丞による詩の朗読が挿入されている事なども含めて当時の氷室としても実験的な楽曲であったと述べている[13]。また森が手掛けた歌詞に関して音楽評論家の田家秀樹は他アーティストへ提供した歌詞とは質感が全く異なると述べた他、子安は森が多彩な語録を持っている事を指摘した上で氷室に合った言葉を見事に出していると述べている[13]。
批評家たちからの本作の音楽性やサウンド面に対する評価は肯定的なものとなっており、音楽情報サイト『CDジャーナル』では本作がソロ15周年記念で3年ぶりの新作である事に触れた上で、「ビート感あふれる曲調はまさに、ヒムロックならではの仕上がり」と評価した他、ラップ調でありハードなサウンドのミクスチャー・ロックに挑戦している事を指摘し、「パワフルなロック・ナンバーが彼には一番似合うことを再認識させてくれる」と肯定的に評価した[14]。音楽情報サイト『TOWER RECORDS ONLINE』では、作詞家である森雪之丞とのパートナーシップやロサンゼルスの腕利きミュージシャンが参加している事に触れた上で、「ハイ・クオリティ・サウンドが炸裂しています」と肯定的に評価した[15]。
本作を受けてのツアーは「KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"」と題し、2003年8月29日の市原市市民会館を皮切りに30都市全38公演を実施[16]、約12万人を動員した[10]。ツアーファイナルとなった11月23日の国立代々木競技場 第二体育館公演では、アンコールのMCにて「プロモーションもやらずにロサンゼルスで好き勝手にマイペースでやってるだけなのに、こんなに集まってくれて」と述べた後、「CLOUDY HEART」の演奏を始めたが途中で涙ぐみ歌えなくなるというアクシデントが発生した[13]。この件に関して子安は、渡米した事で忘れ去られてしまうと危惧していた氷室であったが、当日は満員御礼であった事からファンとの信頼関係を再認識したために起きた事ではないかと推測した[13]。