J.B.ウェンデルケン
ジェフリー・ベンジャミン・ウェンデルケン(Jeffrey Benjamin Wendelken、1993年3月24日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州サバンナ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのサンディエゴ・パドレス傘下所属。 愛称は「J.B」[1]。横浜DeNAベイスターズでの登録表記はイニシャルをそのまま音写したジェイビー・ウェンデルケン[2]。 経歴プロ入りとレッドソックス傘下時代2012年のMLBドラフト13巡目(全体421位)でボストン・レッドソックスから指名され、プロ入り。契約後、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レッドソックスでプロデビュー。13試合に登板して2勝0敗2セーブ、防御率1.27、28奪三振を記録した。 2013年はA級グリーンビル・ドライブでプレーした。 ホワイトソックス傘下時代2013年7月30日にシカゴ・ホワイトソックスとデトロイト・タイガースを含んだ三角トレードで、フランキー・モンタスと共にホワイトソックスへ移籍した[3]。移籍後は傘下のA級カナポリス・インティミディターズとA+級ウィンストン・セイラム・ダッシュでプレーし、移籍前を含めた3球団合計で36試合に登板して2勝2敗12セーブ、防御率3.42、78奪三振を記録した。 2014年はA+級ウィンストン・セイラムでプレーし、27試合に先発登板して7勝10敗、防御率5.25、129奪三振を記録した。 2015年はAA級バーミングハム・バロンズとAAA級シャーロット・ナイツでプレーし、2球団合計で39試合に登板して6勝2敗5セーブ、防御率3.20、69奪三振を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、グレンデール・デザートドッグスに所属した。さらに11月に開催された第1回WBSCプレミア12のアメリカ合衆国代表に選出された。11月20日にはルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[4]。 アスレチックス時代2015年12月9日にブレット・ロウリーとのトレードで、ザック・アーウィンと共にアスレチックスへ移籍した[5]。 2016年は開幕を傘下のAAA級ナッシュビル・サウンズで迎え、5月8日にメジャー初昇格を果たした[6]。同日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー[7]。この年メジャーでは8試合に登板して防御率9.95、12奪三振を記録した。9月にはトミー・ジョン手術を受けている[8]。レギュラーシーズン終了後の10月6日に40人枠外となってAAA級ナッシュビルへ配属された[9]。 2017年は前述の手術の影響で全休した。 2018年は開幕をAA級ミッドランド・ロックハウンズで迎え、AAA級ナッシュビルを経て7月14日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[10]。この年は13試合に登板して防御率0.54、14奪三振を記録した。 ダイヤモンドバックス時代2021年8月11日にウェイバー公示を経てアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[12]。 2022年7月5日にDFAとなった。 DeNA時代2022年11月28日、横浜DeNAベイスターズと契約したことが発表された[13]。背番号は49[14]。登録名は「J.B.ウェンデルケン」であるが、イニシャル表記であるものの音写表記は「ジェイビー・ウェンデルケン」とされた[15]。 2023年は、オープン戦期間中の3月4日に急性腰痛と診断され、リハビリ組に合流[16]。復帰後はイースタン・リーグに3試合登板して無失点に抑え、4月9日に一軍に合流した[17]。リリーフ登板を重ね、5月20日の東京ヤクルトスワローズ戦で同点の7回に登板すると、その裏に味方が勝ち越し来日初勝利を飾った[18]。次第に8回のセットアッパーを任されるようになり、9月27日の読売ジャイアンツ戦ではクローザーを務めていた森原康平がコンディション不良でベンチ入りメンバーから外れていたため、1点差の9回に代わりに登板し、無失点に抑えて来日初セーブを挙げた[19]。残りの試合もクローザーを務め、最終的に61試合に登板し、2勝2敗3セーブ、防御率1.66という安定した成績を残してリリーフの柱となった[20]。11月30日には1年契約を結んだことをDeNAが発表し、チームに残留した[21]。 2024年は、開幕からセットアッパーを務め、4試合に登板し1勝と3ホールドを挙げていたが、右肘の炎症のために4月12日に出場選手登録を抹消された[22]。7月に入り二軍で実戦復帰を果たし、7月30日に一軍登録された[23][24]。10月1日に違和感を訴え、チームドクターにより右胸鎖関節の炎症と診断を受け、翌日に登録を抹消された[25]。同月12日より開幕のクライマックスシリーズまでに状態を間に合わせ[26]、13日に一軍登録された[27]。日本シリーズでも登板したが、最終的には前年を下回る28試合の登板に留まり、オフの11月30日に退団となった[28]。 パドレス傘下時代2025年1月15日に、サンディエゴ・パドレスとマイナーリーグ契約を結んだ[29]。同年のスプリングトレーニングには招待選手として参加する[30]。 投球スタイル平均94.6mph(約152.2km/h)のフォーシームを主体としており、変化球ではカーブとチェンジアップを投げる[31]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録NPB
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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