MGM-5 コーポラル
MGM-5 コーポラル
MGM-5 コーポラル (Corporal) は、アメリカ合衆国 が開発した短距離弾道ミサイル である。コーポラルは、アメリカで初めて制式採用された核弾頭 搭載の誘導兵器であり、アメリカ陸軍 のほか、イギリス陸軍 でも運用された。75海里 (139 km ) の射程を持ち、核弾頭又は高性能炸薬弾頭を搭載することができた。
開発はファイアストン・タイヤ・アンド・ラバー 社、ギルフィラン・ブラザーズ社、ダグラス・エアクラフト 社及びカリフォルニア工科大学 (CIT) にあった初期のジェット推進研究所 (JPL) の協力の下、アメリカ陸軍によって行なわれ、有事 の際にヨーロッパ 地域で使用する戦術核ミサイル として設計された。1964年 まで第一線に配備されており、固体燃料ロケット を用いたMGM-29 サージェント ・ミサイル・システムによって更新された。
当初の制式名称はSSM-G-17 であったが、後にSSM-A-17 に改められ、アメリカ陸軍ではM2 と呼ばれていた。更に、1962年 に新たに制定された命名規則 によって最終的にMGM-5 と改称された。
開発
アメリカ軍 は、第二次世界大戦 中より長距離誘導ミサイルを研究していたが、その結果は果果しいものではなかった。開発が大きく進展したのは、大戦後のことであり、コーポラルはアメリカ合衆国がドイツ のV2ロケット 計画から得た技術的な経験と専門技術を活かして、ニューメキシコ州 のホワイトサンズ性能試験場 において開発されたものである。
プライベート A/F
1944年 5月 にカリフォルニア工科大学 で開始されたORDCIT計画("Ordnance" and CIT)は、アメリカ陸軍武器科 がまとめた初の誘導ミサイル計画であり、その後間もなくジェット推進研究所 (JPL) が組織された。同年5月22日 に長射程ミサイルを目的とする研究開発の仮契約があり、正式契約はその1ヶ月後の6月22日 にあった。開発は銭学森 が指揮した[ 1] [ 2] 。
1944年 11月 にはコーポラルの研究、弾道を含む理論上の計算及びその図面は形になり始め、同年12月 には、最初の試験ロケットであるプライベートA がカリフォルニア州 リーチ・スプリングスのリーチ・レイクで発射された。プライベートAは、アメリカ初の多段式ロケットであったが、未熟なものであった。
1945年 の2月 から4月 にかけてプライベートA及びFロケットは超音速風洞実験を受け、同年4月 にプライベートF が打ち上げられた。プライベートFは、翼を持つ弾道ミサイルが飛翔中に安定性を維持するために誘導装置が必要であることを証明した。
WACコーポラル A/B
WACコーポラルの傍でポーズをとるJPLの責任者フランク・J・マリナ 。戦術ミサイルのコーポラルが14 m近くあるのに対し、WACコーポラルはかなり小型であることが判る。(1945年)
コーポラルの名を持つ最初のロケットは気象観測用のWACコーポラル ・ロケット(WACは、Without Altitude Controlの略)であった。事前にWACコーポラルのブースターとなるタイニー・ティム ロケットの試射が1945年 9月26日 に実施され、ホワイトサンズ性能試験場 での初のロケット発射実験となった。WACコーポラルA は、改良を加えたタイニー・ティムを用いており、1945年 10月1日 に初めて打ち上げられ、約230,000 ft(約70,000 m)の高度に達した。これがアメリカの国家予算で開発された初めての液体燃料ロケット であった。WACコーポラルAは、動作そのものは失敗したものの、観測データを持ち帰るためにノーズコーンを切り離して帰還させるシステム(ノーズ・リリース・リカバリー・システム)を初めて搭載していた。WACコーポラルは、後の1947年 にRTV-G-1 と命名されている。
続くWACコーポラルBは、軽量化された新設計のロケット・モーターを搭載し、酸化剤と燃料によるバースト・ダイヤフラムを備えており、1946年12月に行なわれたWACコーポラルの第12回目の実験で初めて打ち上げられた。後にRTV-G-4 バンパー と呼ばれた研究用の2段式ロケットにも用いられ、8基が1948年 から1950年 の試験のために使用された。RTV-G-4においては、ドイツから接収されたV2ロケット を第一段にWACコーポラルBは第二段に載せられていた。バースト・ダイヤフラムはWACコーポラルBとパンパーの実験でその価値を証明され、地対地弾道ミサイルとしてのコーポラルの開発とその実戦配備を通して継続して使われていくことになった。
コーポラル E
戦術弾道ミサイルとしてのコーポラルの直接の前身は、RTV-G-2 コーポラルE地対地ミサイル試験機であった。1945年 1月2日 に大推力ロケット・モーター地上燃焼試験ステーションとその関連施設の設立が承認され、カリフォルニア州ミューロックに建設された。そこで1945年 の終わりにアメリカで設計され、製造された初の大推力ロケット・モーター、すなわちコーポラルの20,000 lbfのロケット・モーターが試験された。
コーポラルEは、1947年 5月22日 に初飛行、到達距離102 km(55 nm)、高度約39,300 m(129,000 ft)を記録し、地対地誘導弾道ミサイルの製造、飛翔及び誘導の基礎的な要素を評価するために使われた。ヘルメス計画 が作戦用ミサイルに至るまでに更に多くの時間を必要としたため、コーポラルEを戦術核装備の弾道ミサイルへ発展させることが1950年 12月 に承認され、SSM-G-17 コーポラルと命名された。1951年 に、アメリカ軍のミサイル命名規則がわずかに変わったため、RTV-G-2とSSM-G-17は、それぞれRV-A-2 とSSM-A-17 に改称されたが、RV-A-2呼称はそれとほぼ同時に廃止され、コーポラルのすべての試作ミサイルはXSSM-A-17 と呼ばれていた。
コーポラルの主契約者はジェット推進研究所 (JPL) であり、初期のコーポラルEミサイルをダグラス・エアクラフト が研究試作として1949年 に7基、後に更に20基(1950年 10月9日 契約)、合計27基を製造した。しかし、1951年 1月 にコーポラルの開発に関する権限が陸軍武器科からレッドストーン兵器廠 のアメリカ陸軍弾道ミサイル局 (ABMA) に移譲された後、作戦用ミサイル200基の製造契約は1951年 6月29日 にファイアストン に与えられた。コーポラル I とも呼ばれていたSSM-A-17 コーポラルは1952年 8月 に初飛行し、1954年 4月 に、陸軍初のコーポラル部隊はそのミサイルで訓練を開始した。また、それは戦術誘導ミサイルXM2に指定された。SSM-A-17は、W7核分裂弾頭(核出力 20 kt)を搭載していた。
特徴
アメリカ空軍宇宙とミサイルの博物館に展示されているコーポラル・ミサイル(フロリダ州 ケープ・カナヴェラル )。
最前線配備の核兵器であったにもかかわらず、コーポラル・ミサイルは、低い信頼性と精度の悪さのために評判が悪かった。コーポラルは、赤煙硝酸 (RFNA) とヒドラジン を推進剤とするJPL開発の液体燃料ロケット を使用したが、酸化剤の赤煙硝酸は非常に有毒で腐食性がある物質であり、推進剤の充填は危険なプロセスであった。このため、発射の直前に精巧で時間のかかる準備を必要としたことから、その戦術的な即応性が疑問視されていた。誘導には、第二次大戦期のレーダー・システムSCR-584を改修した、AN/MPQ-12 を使用し、これによってコーポラルの弾道と速度を監視し、誘導指令を送信した。この誘導システムは非常に複雑で整備が難しく、そのうえ、外部からの誘導指令を必要とする方式のために電子妨害に対する耐性が低かった。これらの問題により、コーポラル・ミサイル・システムの信頼性は、50%未満であった。さらに、コーポラル大隊はおよそ35台の車両から成ったため、移動がまず大仕事であった。発射サイトに到着した後、最初のミサイルを発射準備が整うまでに、およそ9時間も要した。
コーポラル I に代わって開発されたコーポラル II / IIa / IIb は、システムの信頼性が幾分改善したが、液体燃料ロケット・モーターを用いていることによる危険性や即応性などのコーポラルの根本的な問題は残った。
運用
コーポラル・ミサイル(1958年頃)
1945年 10月11日 にテキサス州 フォート・ブリスで第1誘導ミサイル大隊が編成され、1947年 4月 に同大隊D中隊が、ミサイルの発射作業を全員兵士で実施し、WACコーポラルBを発射した。その後、1952年 3月 に初の弾道ミサイル部隊である3つのコーポラル大隊が編成され、6個大隊まで増やされた。各大隊は2個発射中隊で構成され、これらの部隊の装備として465基のコーポラル II の調達が国防総省で承認された。
また、1955年 2月 にアメリカ陸軍の第259コーポラル大隊及び第96直接支援中隊がヨーロッパに配備され、計6個大隊が配備された。第259コーポラル大隊は、当初コーポラル I を装備していたが、1956年 4月 にコーポラル II に換装している。
1954年 の後半にアメリカ合衆国とイギリスの間で合意に達し、アメリカ合衆国がイギリスに113基のコーポラル IIA ミサイル及び関連する地上器材を提供することに同意した。これらのコーポラル IIA は、1955年 4月 に実際に提供され、アメリカ軍以外の軍隊によって運用されるべくアメリカ国外で任務に就くことになる最初のアメリカ製誘導ミサイルとなった。その後、スコットランド のサウス・ウイスト島 に1957年 から1958年 に造られた特別王立砲兵ロケット実験場に配置されたイギリス とドイツ のコーポラル大隊による試射が1959年 に行われた。試射の最初の年の成功率はわずか46 %であり、ドイツでのコーポラルの作戦運用での実戦効果について軍関係の計画者の間で疑問を生じさせた惨憺たる記録であった。
アメリカ陸軍は当初、更に改良した誘導装置を持つコーポラル III を開発する予定であったが、より先進のMGM-29 サージェント の開発が進展したため、この計画は1958年 にキャンセルされた。1958年 から1959年 の間にコーポラル IIb が製造されたが、サージェントが1962年 に配備された後、コーポラルは迅速に排除され、1963年 3月31日 にヨーロッパ配備のコーポラル大隊が最初に活動を停止し、最後のコーポラル大隊が1964年 6月25日 に解散したことにより、コーポラルはその運用を終えた。
各型
プライベート A - 研究開発用試験ロケット
プライベート F - 研究開発用試験ロケット
RTV-G-1 - WACコーポラル。気象観測用ロケット。WACコーポラルA及びBがある。
RTV-G-2 - コーポラル E 地対地誘導弾道ミサイル試験機
SSM-G-17 - コーポラル・ミサイルの当初の名称。
XSSM-A-17 - コーポラル I(又はタイプ I コーポラル)の試作ミサイル。
SSM-A-17 - コーポラル I 。SSM-G-17から改称。
XSSM-A-17a - コーポラル II(又はタイプ II コーポラル)の試作ミサイル。
XM2E1 - コーポラル IIの試作ミサイル。SSM-A-17aから改称。
M2 - コーポラル II
M2A1 - コーポラル IIb(又はタイプ IIb コーポラル)
MGM-5A - コーポラル II。1962年 の名称統一の命名規則 変更に伴いM2から改称。
MGM-5B - コーポラル IIb。1962年 の名称統一の命名規則 変更に伴いM2A1から改称。
コーポラル III - 計画のみ。制式名称なし。
MGM-5A
1963年 にMGM-5A となるコーポラル II は、SSM-A-17 コーポラル I を改善したものであった。1953年 にJPLは、コーポラルの信頼性改善を始め、新型のドップラー・ユニットを含むレーダー/無線装置を開発した。ミサイル発射機、エレクターと維持を提供しているプラットホームも再設計された。コーポラル II ミサイルは、最初はXSSM-A-17a と呼ばれていたが、後にXM2E1 となった。配備は1956年 から始まり、全てのコーポラル I は、コーポラル II に迅速に更新された。また、コーポラル・ミサイルは誘導ミサイルM2 に指定された。
MGM-5B
コーポラル IIa は、1957年 に導入され、誘導装置が改良された。システムの電子装置の多くを変更したが、ミサイルの外形に変化はなかった。1958年 からのコーポラル IIb は、信頼性の低い内蔵バッテリーの代わりに空気タービン交流発電機 (ATA) とミサイルをより早くセットアップするために、簡単に取り外せるフィンを持っていた。コーポラル IIb は、M2A1 に指定され、後の1963年 にMGM-5B となる。
仕様
出典:Designation-Systems.Net[ 3]
RTV-G-2 (RV-A-2)
全長: 12.1 m (39 ft 8 in)
翼幅: 2.7 m (8 ft 9 in)
直径: 0.76 m (30 in)
発射重量: 4,200 kg (9,250 lb)
速度: 3,300 km/h (1,780 kt, 2,050 mph)
射程: 100 km (62 miles)
機関: JPL 液体燃料ロケット・モーター
推力: 89 kN (20,000 lbf)
燃焼時間: 60 s
弾頭: なし
MGM-5A/B (M2/M2A1)
全長: 13.8 m (45 ft 4 in)
翼幅: 2.1 m (7 ft)
直径: 0.76 m (30 in)
発射重量: 5,000 kg (11,000 lb)
速度: 3,500 km/h (1900 kt, 2200 mph)
射程: 48 - 130 km (26 - 70 nm)
高度: 40,000 m (131,200 ft)
機関: JPL 液体燃料ロケット・モーター
推力: 89 kN (20,000 lb)
燃焼時間: 64 s(最大)
弾頭: W7 核分裂弾頭 (核出力 :20 kt)
脚注
関連項目
外部リンク