NTT西日本中国 |
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創設年 |
1950年 |
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廃部年 |
? |
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チーム所在地 |
広島県広島市 |
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NTT西日本中国バレーボール部(エヌティーティーにしにほんちゅうごくバレーボールぶ)は、かつて広島県広島市南区を拠点に活動していた、NTT西日本-中国の男子バレーボールチームである。
概要
1950年、日本電信電話公社中国電報電話局のバレーボールチーム「電電中国」として創部。1981年から始まった地域リーグ(男子・西部)に参加。1985年NTTグループ誕生に伴い、NTT中国に改称。1998年、実業団リーグ(のちのV1リーグ、現チャレンジリーグ)に昇格[1]。
1999年1月、NTT中国支社の廃止に伴い広島支店のスポーツサークルとなり、支店の福利厚生費からの補助と社員のスポーツ後援会からの援助で活動を続けた。同年度シーズン、V1リーグ3位に入る[1]。
同年7月1日、NTTは4社分割による再編成が行われた。それに伴い全国11支社にあったスポーツチームは過去の実績などを基に再編され、陸上競技部(広島)・硬式野球部(大阪)・ラグビー部(大阪)・バレーボール(名古屋(男子)と神戸(女子))をNTT西日本本社直轄のシンボルチーム、ソフトテニス(広島)のうち全日本メンバーをシンボル選手に認定した。そこから外れたスポーツチームは支店のスポーツサークル、クラブチーム化、あるいは休廃部していった[2]。
2001年、NTT西日本は人員合理化などを進めた。その中で、社員の新規採用が2001年度から2年間見送られることとなり、NTT西日本中国バレー部も新入部員を勧誘することができなかった。さらには、主力3人がシンボルチームのレグルスに移籍してしまった。そのため弱体化が進み、2001シーズンはV1で6位に終わる。同年11月末から広島支社はスポーツサークルの休廃部や活動縮小を検討、バレー部は2002年シーズンを最後にV1リーグを脱退した[1]。
成績
主な成績
- V1リーグ
- 地域リーグ西部
- 優勝 1984年、1996年、1997年
- 準優勝 1983年
- 黒鷲旗全日本選手権
年度別成績
大会名
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順位
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参加チーム数
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試合数
|
勝
|
敗
|
地域リーグ西部
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第1回(1981) |
3位 |
6チーム |
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第2回(1982) |
3位 |
6チーム |
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第3回(1983) |
準優勝 |
8チーム |
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|
第4回(1984) |
優勝 |
8チーム |
|
|
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第5回(1985) |
5位 |
8チーム |
|
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|
第6回(1986) |
|
8チーム |
|
|
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第7回(1987) |
5位 |
8チーム |
|
|
|
第8回(1988) |
5位 |
8チーム |
|
|
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第9回(1989) |
3位 |
8チーム |
|
|
|
第10回(1990) |
4位 |
8チーム |
|
|
|
第11回(1991) |
5位 |
8チーム |
|
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|
第12回(1992) |
6位 |
8チーム |
|
|
|
第13回(1993) |
6位 |
8チーム |
|
|
|
第14回(1994) |
4位 |
8チーム |
|
|
|
第15回(1995) |
4位 |
8チーム |
|
|
|
第16回(1996) |
優勝 |
8チーム |
|
|
|
第17回(1997) |
優勝 |
8チーム |
|
|
|
実業団リーグ
|
第29回(1997/98) |
8位 |
8チーム |
14 |
1 |
13
|
V1リーグ
|
第1回(1998/99) |
3位 |
8チーム |
14 |
10 |
4
|
第2回(1999/00) |
5位 |
8チーム |
14 |
5 |
9
|
第3回(2000/01) |
6位 |
8チーム |
14 |
4 |
10
|
第4回(2001/02) |
7位 |
8チーム |
14 |
2 |
12
|
脚注
関連項目
外部リンク
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