S・P・ムトゥラーマン
S・P・ムトゥラーマン(S. P. Muthuraman、1935年4月7日[1] - )は、インドのタミル語映画で活動する映画監督。「SPM」の通称で知られている[2]。これまでに72本の映画で監督を務め、タミル語映画で最も商業的に成功した監督の一人に挙げられる[3]。 生い立ち1935年4月7日、7人兄弟の第2子としてカライクディに生まれる。地域の慣習に従い「ラージャラーム・モーハン(Rajaram Mohan)」の別名が付けられたが、時代の経過と共に慣習が廃れたため、次第にこの名前は使用されなくなった[4]。父ラーマ・スッバイヤはドラヴィダ運動の活動家で、1972年から1978年にかけてタミル・ナードゥ州議会議員を務めた。また、末弟スーバ・ヴィーラパンディアンもドラヴィダ運動家として活動している[5]。 キャリア会社員を経て雑誌『テンドラール』の編集アシスタントに転職した。ムトゥラーマンは脚本家を志望しており、AVMプロダクションの脚本家チームへの就職を目指していたが、同社からは「映画製作の技術を学ぶように」と助言を受けて編集チームに採用された[6]。1960年にA・ビームシンの助監督として『Kalathur Kannamma』に参加し[7][8]、その後はクリシュナン=パンジュ、D・ヨーガナンド、プッタンナ・カナガール、M・クリシュナン・ナーイル、A・C・ティルロークチャンダルの下で映画製作に携わった[9]。 監督としてR・ムトゥラーマン、ジャイシャンカル、シヴァージ・ガネーサンの主演作を手掛けた後、ラジニカーントとカマル・ハーサンの主演作を手掛けたことで監督としての名声を得た[10]。ラジニカーントとは1977年以来親密な関係を構築し、25本の映画で彼を主演に起用した。ムトゥラーマンはラジニカーントを商業スターに押し上げた功労者として知られており[11]、『ボス その男シヴァージ』ではアソシエイト・プロデューサーを務めている。 家族1957年にカマラと結婚し[12]、3人の子供をもうけた。1992年10月15日に妻カマラと死別している[13]。 フィルモグラフィー映画
テレビシリーズ
受賞歴
出典
参考文献
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