アダム・スコット Adam Scott
基本情報 名前
アダム・スコット 生年月日
(1980-07-16 ) 1980年 7月16日 (44歳) 国籍
オーストラリア 出身地
オーストラリア ・アデレード 経歴 プロ勝利数
31 優勝数 PGAツアー
14 ヨーロッパ
11 アジアツアー
4 サンシャイン
1 オーストラリア
6 メジャー選手権最高成績 マスターズ
優勝(2013) 成績 世界ランク最高位
1位 賞金ランク最高位
3位(米国・2006年) 2020年2月20日現在 テンプレートを表示
アダム・スコット (Adam Scott , 1980年 7月16日 - )は、オーストラリア ・アデレード 出身のプロゴルファー である。プロで31勝を挙げており、自己最高ワールドゴルフランキング は1位。
2013年マスターズ・トーナメント 優勝。
経歴
スコットはオーストラリア の英雄グレグ・ノーマン に憧れてゴルフ を始め、ジュニア時代から顕著な成績を数多く出していた。2000年 6月、大学を2年で中退してプロゴルファーに転向する。直ちに2001年 1月の「アルフレッド・ダンヒル選手権」でヨーロピアンツアー に初優勝を飾り、スコットは大型新人選手のひとりとして注目を集め始めた。1999年 後半に19歳で一躍世界トップ選手に躍進したセルヒオ・ガルシア の刺激もあり、当時の若手選手たちが少しでも早い成功を求めていた時代背景もあったが、スコットはその中で着実な成長を続けてゆく。スコットのメジャー大会 初出場は2001年 の全英オープン であったが、2002年 のマスターズ に初出場で9位入賞を果たし、メジャー大会への挑戦も軌道に乗せた。2002年 は3月の「カタール・マスターズ」と8月の「スコットランドPGA選手権」で欧州ツアーに年間2勝を挙げている。
2004年
2003年 のシーズンには、7月末の「スカンジナビア・マスターズ」で欧州ツアー4勝目を挙げた後、アメリカ PGAツアー 大会でも9月初頭の「ドイツ銀行選手権 」で第1回大会の優勝者になり、アメリカで初優勝を果たした。この大会は、タイガー・ウッズ がホストを務めるトーナメントである。2003年 のプレジデンツカップ で、23歳のアダム・スコットはオーストラリア の選手として、初めて「国際選抜チーム」の代表選手に選ばれた。2004年 からスコットはアメリカ ツアーに活動の拠点を移し、“第5のメジャー大会”とも呼ばれる3月下旬の「ザ・プレーヤーズ選手権 」で初優勝を飾り、世界的な評価をさらに高めた。このトーナメントの会場であるアメリカ ・フロリダ州 の「プレーヤーズ・クラブ・オブ・ソーグラス」(TPC of Sawgrass)は、アメリカで最も難しいゴルフコースの1つに数えられている。プレーヤーズ選手権の3ヶ月後に「ブーズアレン・クラシック」でも優勝し、この年はアメリカで年間2勝を記録した。
2006年 のスコットはメジャー大会 でも成績を伸ばし、全英オープン で8位に入った後、全米プロゴルフ選手権 でメジャー大会の自己最高成績となる「3位」をマークした。PGAツアーの年間最終戦「PGAツアー選手権 」は、年間賞金ランキング30位以内の選手しか出場資格を得られない大会である。スコットは2位のジム・フューリク に3打差をつけ、11 アンダーパー(-11, 269ストローク)で初優勝を飾った。この優勝により、スコットは年間賞金ランキングを3位で終えた。しかし、2008年に車のドアで指を怪我した後に、趣味のサーフィン (ウェイクボード )で選手生命を危ぶまれる程の膝の故障を負い、2009年度は賞金ランキング108位、世界ランキング34位にまで転落した。
2012年 の全英オープンでは3日目を終え11アンダーの首位に立ち最終日も14番までは順調であった。しかし、15番から4連続ボギーを叩いてアーニー・エルス にかわされ惜しくも2位となる。
2013年 の第77回マスターズでは、72ホール目をともにバーディで終えた43歳アンヘル・カブレラ と通算9アンダーで首位に並び、決着は雨中のプレーオフとなった。プレーオフ1ホール目の18番ホールは共にパー。プレーオフ2ホール目の10番ホールでは両者がバーディパットに挑んだが、カブレラの約6mのパットはカップの縁に止まりパーだったのに対し、スコットは約4mのパットを長尺パターで成功させた。長尺パターの使用開始から2年、32歳で自身初のメジャータイトルを奪取して、オーストラリア勢初、長尺パター使用者初のマスターズチャンピオンとなった[ 1] 。
2014年5月19日月曜日発表の世界ゴルフランキングでタイガー・ウッズ を抜いて1位となる。この週に開催されたクラウンプラザ招待でジェイソン・ダフナー とのプレイオフを3ホール目に決着させて優勝して、テキサス州で開催される4大会バレロテキサス、シェルヒューストン、HPバイロン・ネルソン、クラウンプラザをすべて制覇していわゆるテキサススラムを達成。
2014年の第79回日本オープンゴルフ選手権競技 で日本ツアーに7年ぶりに参戦し、通算4オーバーで38位タイに終わり、この大会での賞金を後進の育成のために全額寄付した。なお、この年に彼はスウェーデン人 建築家 と結婚しており、この大会が終了したその脚で夫人と京都 旅行に向かった[ 2] 。
2016年には2勝を挙げたが、その後はアンカリング禁止の影響もあり不調に陥り、一時世界ランク78位まで順位を下げた。2019年12月にオーストラリアPGA選手権 で3年9カ月ぶりの優勝を果たすと、タイガーが主催するジェネシス招待で4年ぶりのPGAツアー優勝[ 3] 。世界ランキングもトップ10にカムバックした。
選手としての特徴
同じ年にあたるセルヒオ・ガルシア などと並び、若手男子プロゴルファーの中で最も顕著な活躍を見せてきた選手のひとりである。2006年 10月末にアメリカ PGAツアー の年間最終戦「PGAツアー選手権 」で初優勝を遂げ、世界ランキング でも3位に躍進した。
早くからタイガー・ウッズ に強い憧れを抱き、(以前ウッズのコーチを務めていた)ブッチ・ハーモンに師事していることから「ホワイト・タイガー」(White Tiger)と呼ばれることもある。2013年マスターズにて、自身初、長尺パター使用者として初のメジャータイトルを獲得。2016年にアンカリングが禁止されてからは試行錯誤している[ 4] 。
2013年にユニクロ とグローバル・ブランド・アンバサダー契約を締結し[ 5] 、14年から2年連続で日本オープンに出場。
交友関係
アーニー・エルス 、ジャスティン・ローズ との親交があり、2013年にマスターズでメジャー初優勝のスコットがローズに「次はキミの番だよ」と励まし、ローズは全米オープン でメジャー初優勝を果たした。
プロ優勝 (31)
PGAツアー (14)
Legend
Major championships (1)
World Golf Championships (2)
FedEx Cup playoff event (1)
Other PGA Tour (9)
* Note:2005年のニッサン・オープンは天候不良により36ホールに短縮。チャド・キャンベルとのプレーオフ1ホール目で勝利したが、賞金は加算されない。
PGAツアープレーオフ記録 (3–0)
ヨーロピアンツアー (11)
Legend
Major championships (1)
World Golf Championships (2)
Other European Tour (8)
1 サンシャインツアーとの共催
2 アジアン、豪ツアー共催
3 アジアンツアー共催
4 豪ツアー共催
アジアンツアー (4)
* Note: 2006年のシンガポールオープンは天候不良で54ホールに短縮。3ホールのプレーオフの末2打差でエルスを下した。
1 欧州・豪ツアーとの共催
2 欧州ツアーとの共催
サンシャインツアー (1)
1 欧州ツアーとの共催
豪PGAツアー (5)
1 欧州・豪ツアーとの共催
その他優勝 (2)
脚注
外部リンク
太字★は2022年10月23日付で交代したランク1位
2005年まではNECインビテーショナル、2006年から2018年まではブリヂストンインビテーショナル、PO はプレーオフでの優勝