ジェシー・ウィルコックス・スミス によるハイジのイラストレーション (1922)
『アルプスの少女ハイジ 』(アルプスのしょうじょハイジ、Heidi )は、スイス の作家ヨハンナ・シュピリ (またはスピリ)の児童文学 作品である。1880年 から1881年 に執筆された。原題は『Heidis Lehr- und Wanderjahre 』(ハイジの修行時代と遍歴時代、1880年出版)および『Heidi kann brauchen, was es gelernt hat 』(ハイジは習ったことを使うことができる、1881年出版)である。
ドイツの文豪ゲーテ の『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代 』および続編の『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代 』からその着想を採られたもので、教養小説 (成長小説)としての色彩を持ったものである。キリスト教 信仰に基づく描写が多く見られる。作者も属するドイツ語圏スイスのデルフリ村(マイエンフェルト 付近の架空の村。イェニンス村がモデル)が舞台となっており、中盤にはゲーテの生地でもあるフランクフルトに舞台が移る。
あらすじ
日本語完訳版では、2分冊で発表された原著が第1部・第2部の1冊、または上・下2分冊で出版されている。それぞれの内容は、[ 1]
『Heidis Lehr- und Wanderjahre 』(ハイジの修行時代と遍歴時代、1880年出版)
フランクフルトからデルフリ村に戻ったハイジが祖父と再会し、ハイジの説得で祖父が永年拒んできた日曜礼拝 に参加するまでを描く。
『Heidi kann brauchen, was es gelernt hat 』(ハイジは習ったことを使うことができる、1881年出版)
ハイジはフランクフルトで旅支度をして、アルム山の祖父の元へ帰り、元気になる。病弱のクララがアルム山を訪ね、元気になり、歩けるようにもなり、クラッセン医師が後見人になる。
スイス東南部、ドイツ語圏のグラウビュンデン州 のデルフリ村(スイスドイツ語 で「小さな村」、イェニンス村 (英語版 ) といわれる[ 2] )に二人の兄弟が住んでいた。兄は酒とギャンブルで一家の財産を浪費し、弟はナポリ でイタリア軍に従軍するために家出した。息子トビアスを連れて戻ってきた彼は、村人たちから疎まれ、ナポリでの生活にまつわる噂を立てられる。彼はアルム山(架空の山)で隠遁生活を送り、「アルムじいさん」と呼ばれるようになる。二人の村娘、デーテとアーデルハイト姉妹がトビアスと親しくなる。2人が成長すると、デーテはグリソン地方のマイエンフェルト の町でホテルのメイドとして働くようになる。アーデルハイトとトビアスは結婚し、彼は大工として働く。二人の間には娘が生まれ、名前はアーデルハイトだが、愛称は「ハイジ」(ハイディ、Heidi)だった。やがてトビアスは仕事中の事故で亡くなり、母アーデルハイトもショック死する。アルムおじさんはこのことで神を恨む。
ハイジは当初、マイエンフェルトで母方の祖母とデーテに育てられる。祖母の死後まもなく、デーテは大都会でのメイドとして良い仕事を紹介されたので、5歳のハイジをデルフリからアルム山を登ったところにある父方の祖父「アルムじいさん」の家に連れて行く。祖父は長年、村人たちと対立し、神を恨み、アルム山で隠遁生活を送っていた。彼はハイジがやって来たことに一時は腹を立てるが、彼女の明らかな知性と陽気でありながら淡々とした態度に、控えめながらもすぐに本物の愛情を抱くようになる。ハイジは新しい隣人たち、若いヤギ飼いのペーター、その母ブリギット、目が見えなくなった母方の祖母ともごく親しくなる。季節が過ぎるごとに、山の住人たち、特にペーターと祖母はハイジへの愛着を深め、ハイジもまた彼らに愛情を注ぐようになる。しかし、村の牧師の勧めにもかかわらず祖父はハイジが学校に通うことを拒み、それを勧めようとする地元の牧師や校長と喧嘩し、その結果ハイジは文盲 で育つ。
3年後、デーテはハイジをフランクフルト に連れて行き、クララ・ゼーゼマンという裕福な家の少女のお抱え女友達になる。クララはハイジの素朴な人懐っこさとアルム山での生活の描写に魅了され、ハイジのナイーブさと都会生活の経験のなさがもたらすおかしな災難の数々に大喜びする。しかし、ゼーゼマン家の厳格な家政婦ロッテンマイヤー女史は、家庭の乱れを無分別な悪行とみなし、自由奔放なハイジをますます束縛し、アルプスの話をすることも、故郷を思って泣くことも禁じた。やがてハイジはアルムへのホームシック がひどくなり、驚くほど青白く痩せていく。そんなハイジの唯一の気晴らしは、クララの祖母ゼーゼマン夫人が、ハイジに信頼と愛情を示し、神を信じ、祈ることを勧めて『聖書 』の物語集を使って読み書きを習うことだった。後にゼーゼマン夫人はハイジに様々な本を贈り、こうしてハイジは本を読めるようになる。
ハイジは難治性のホームシックにかかり、階下に降りて玄関のドアを開ける夢遊病 の症状を起こす。彼女はクラッセン医師の勧めで、友人へのプレゼントとゼーゼマンからの本を抱えて山に戻るが、彼女の最大の楽しみのひとつは、もはや自分では歌えないペーターの目が見えない祖母に「讃美歌 」を歌ってあげることだと気づく。彼女の神への信仰は、アルムおじさんの中にある何かに語りかける。ある日ハイジは、ゼーゼマン夫人からもらった本から「放蕩息子 」を読み聞かせる。その夜、おじさんは神を恨んできた自分を反省して、久しぶりに神へ祈りを捧げる。おじさんはハイジを教会に連れて行くようになり、冬にはハイジが学校に通えるように村に宿をとる。
ハイジとクララは連絡を取り合い、手紙を交換し続ける。ハイジを訪れたクラッセン医師は、クララにハイジを訪ねることを熱心に勧め、山の環境と健全な交友関係がクララに良い結果をもたらすと確信する。翌シーズン、クララはハイジと素晴らしい夏を過ごし、ヤギ乳 と新鮮な山の空気で強くなる。しかし、ハイジとクララの友情に嫉妬を募らせたペーターは、彼女の空の車椅子 を山に突き落として破壊してしまう。車椅子がなければ、クララは歩くしかない。彼女はあまり力がなく、ハイジや祖父に頼って倒れずに立っていることが多かったが、孤独な引きこもりの病人としての生活に終止符が打たれた。祖母と父は、クララが再び歩けるようになったことに驚き、大喜びする。冬に町で学校に通えるようにと自分の別荘を宿として貸していたクラッセン医師は、祖父が年老いてハイジを保護できなくなる時が来たとしても、永久に彼女の後見人 となることを約束する。
日本語訳
日本語訳の版本は過去様々なタイトルで100種類以上出版された。以下はその一部(抄訳も含む)。
映像化作品
アニメ
テレビシリーズとしては、ズイヨー映像の作品が有名だが、アニメ作品はほかにもいくつか存在する。以下はその一部である。
実写
舞台化作品
宝塚少女歌劇団
他の作者による「ハイジ」の続編
ヨハンナ・シュピリ自身は、「アルプスの少女ハイジ」の続編などは執筆していないが、他の作者による続編が公開されている。いずれも公式な作品というわけではなく、作者が異なれば、続編間の関連性も無い。
シャルル・トリッテン 『それからのハイジ』(各務三郎 訳 ブッキング 2003年8月)
ハイジは、クララの勧めによってローザンヌの寄宿学校へ入学する。卒業したハイジはアルプスに戻り学校の教師となる。
シャルル・トリッテン 『ハイジのこどもたち』(各務三郎 訳 ブッキング 2003年8月)
『それからのハイジ』の続編。ハイジとペーターは結婚してアルムの村で暮らしていた。ローザンヌの寄宿学校時代の親友の妹マルタは、祖母を亡くしたおりに心を閉ざしていた。ハイジはマルタを引き取って育てる。やがて、マルタも次第に心を開いていく。
フレッド・ブローガー &マーク・ブローガー 『ハイジの青春 アルプスを越えて』(堀内静子 訳 早川書房 1990年8月)
("Courage Mountain"として映画化(邦題『チャーリー・シーンのアルプスを越えて』))
14歳になったハイジは、アルプスを離れ、イタリアの寄宿学校へ行く。しかし、戦争が始まり寄宿学校は軍に接収され、ハイジたちは工場で酷使される。ハイジたちは脱走し、アルプスへと向かう。
石川淳 「アルプスの少女」(『おとしばなし集』所収 集英社 1952年11月)
『戦後短篇小説再発見〈10〉表現の冒険』(講談社文芸文庫 2002年3月)に再録
戦争が起こり、ペーターは兵士となる。平和が戻ったとき、ペーターとクララは再会しアルムに向かう。
類似が指摘される作品
2010年 、ドイツの文学研究者ペーター・ビュトナー(Peter Büttner)により、この作品が1830年 にドイツの作家、ヘルマン・アーダム・フォン・カンプ が発表した作品「アルプス山地の少女アデライーデ(Adelaide - das Mädchen vom Alpengebirge)」に類似していることが指摘され、本作の下敷きとなった可能性が高いとした。この指摘にはスイスの新聞が「ハイジは盗作だった」と報じるなど波紋を広げた。ビュトナー自身は「私は盗作とは言わない。シェークスピアやゲーテも同じことをやっている」と話している[ 15] [ 16] [ 17] 。
脚注
出典
参考文献
関連項目
外部リンク