イブン・アブドラッビヒ (アラビア語: ابن عبد ربه, ラテン文字転写: Ibn ʿAbd Rabbih; 860年生 - 940年歿) は、9-10世紀のイスラーム期イベリア半島の詩人、文人[1]。著作の『類い稀なる首飾り』al-ʿIqd al-Farīd という百科全書的文芸作品で有名である[1]。
「イブン・アブドラッビヒ」(奴隷の子孫)という名は通り名で、クンヤはアブー・ウマルで、イスムはアフマド、父親の名前はムハンマドという[2][3][4]。「アブドラッビヒ」であったのは父系祖父であり、祖父は後ウマイヤ朝のアミール、ヒシャーム1世(在位 788-796年)により解放された解放奴隷であったようである[3][4][5]。より詳しい名前は、Abū ʿUmar Aḥmad b. Muḥammad b. Ibn ʿAbd Rabbih b. Ḥabīb b. Ḥudayr b. Sālim という[2][3]。イブン・アブドラッビヒの所属する一族は、ムスリムによる征服以前からイベリア半島に土着していた一族である[2]。一族はヒシャーム1世の時代からウマイヤ家の庇護民(マワーリー)となっていた[2]。
彼が学んだマーリク法学派の学者たち(Baqī b. Makhlad (816–889), Muḥammad b. Waḍḍāḥ (815–899), Muḥammad b. ʻAbd al-Salām al-Khushanī (833–899))は、いずれも東方へ遊学し、東方の詩、知見(アフバール)、教養(アダブ)をアンダルスに持ち帰ったと言われている者たちである。イブン・アブドラッビヒ自身は一度もイベリア半島を出たことがない。
^ abcHámori, András P., “Ibn ʿAbd Rabbih”, in: Encyclopaedia of Islam, THREE, Edited by: Kate Fleet, Gudrun Krämer, Denis Matringe, John Nawas, Devin J. Stewart. Consulted online on 19 July 2024 <http://dx.doi.org/10.1163/1573-3912_ei3_COM_30627>, First published online: 2017, First print edition: 9789004335714, 2017, 2017-2