第5代バクルー公爵 および第7代クイーンズベリー公爵 ウォルター・フランシス・モンタギュー・ダグラス・スコット (英 : Walter Francis Montagu Douglas Scott, 5th Duke of Buccleuch, 7th Duke of Queensberry ,KG PC FRS FRSE 、1806年 11月25日 - 1884年 4月16日 )は、イギリス の貴族、政治家。ガーター勲章 勲爵士、アザミ勲章 勲爵士(後に返上)、枢密顧問官 。
保守党 に所属し、サー・ロバート・ピール の下で王璽尚書 や枢密院議長 を務めた。
経歴
ダルキース伯爵チャールズ・モンタギュー=スコット (後の第4代バクルー公爵 ・第6代クイーンズベリー公爵 )の二男として、スコットランド ・ミッドロージアン 州ダルキース のダルキース・ハウス (英語版 ) で生まれる[ 1] [ 2] [ 3] [ 4] [ 5] [ 6] 。母親のハリエット・キャサリンは内務大臣 や商務大臣 (英語版 ) (President of the Committee on Trade and Foreign Plantations )[訳語疑問点 ] などを歴任した初代シドニー子爵 (英語版 ) トマス・タウンゼンド の娘[ 1] [ 2] [ 3] [ 4] [ 5] [ 6] 。1808年 に兄のスコット卿(ホイットチェスター卿)ジョージ・ヘンリー・スコットが死去したため公爵位の法定推定相続人 となる。1819年 に父親の死去により13歳で襲爵[ 1] [ 4] [ 5] [ 6] 。
1822年 に行われたジョージ4世のスコットランド行幸 (英語版 ) の際には国王をダルキース・ハウスに招いた[ 1] [ 2] [ 3] [ 4] 。20年後、1842年 のヴィクトリア 女王のスコットランド行幸においても女王夫妻はダルキース・ハウスを訪問した[ 1] [ 2] [ 3] [ 4] 。また1838年 にロイヤル・カンパニー・オブ・アーチャーズ (英語版 ) の総司令官(Captain general )[訳語疑問点 ] に任じられた。
イートン・カレッジ を経てケンブリッジ大学 セント・ジョンズ・カレッジ (英語版 ) で学び、1827年に修士 号(M.A.)を取得[ 7] 。1834年 にオックスフォード大学 から名誉民法学博士号(D.C.L.)を、1842年 にケンブリッジ大学から名誉法学博士号(LL.D.)を、1874年 に総長を務めていたエディンバラ大学 から同じく名誉法学博士号(LL.D.)を授与された[ 1] [ 2] [ 3] [ 4] 。1833年 には王立協会フェロー に選出された[ 8] 。
1828年 にミッドロージアン の統監 (Lord Lieutenant of Midlothian ; 知事 )に任じられ[ 9] 、1841年 からロックスバラシャー (英語版 ) 統監(Lord Lieutenant of Roxburghshire )も兼ねた[ 10] 。1830年 にアザミ勲章 [ 11] を受勲するが、1835年 にガーター勲章 [ 12] を受勲したときにアザミ勲章騎士団からは退団している。
1842年 に王璽尚書 として入閣、同時に枢密顧問官 に列せられる[ 13] 。1846年 に枢密院議長 に転任[ 14] 。
1835年 から1842年 にかけて、バクルーは50万ポンド 以上の私財を投入してエディンバラ のフォース湾 に面したグラントン地区 (英語版 ) に港を建設した[ 1] [ 2] [ 3] [ 4] 。これによってグラントンは石炭の輸出とアフリカハネガヤ (英語版 ) (エスパルト ; 製紙原料)の輸入で大きく発展した。
1884年 4月16日 、スコットランド ・セルカークシャー (英語版 ) 州ボウヒル (英語版 ) で死去し、ミッドロージアン 州ダルキース の聖メアリ礼拝堂に葬られた[ 1] [ 2] [ 3] [ 4] 。爵位は長男のダルキース伯爵ウィリアム・モンタギュー・ダグラス・スコット が相続した[ 1] [ 2] [ 3] 。
家族
妻は第2代バース侯爵 トマス・シン の娘シャーロット・アン で、1829年 8月13日 にロンドン の聖ジョージ教会 (英語版 ) で結婚した[ 1] [ 2] [ 3] 。シャーロットは女官長 (Mistress of the Robes ; 衣装係女官 )となった[ 15] 。彼女との間に以下の子供をもうけた。
出典
^ a b c d e f g h i j Lundy, Darryl. “Walter Francis Montagu Douglas Scott, 5th Duke of Buccleuch ” (英語). thepeerage.com . 2012年1月8日 閲覧。
^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward [in 英語] , ed. (1912). "BUCCLEUCH" . The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain, and the United Kingdom Extant, Extinct, or Dormant (英語). Vol. 1 (1 ed.). London : The St. Catherine Press, ltd. pp. 371–372. 2012年1月8日閲覧 。
^ a b c d e f g h i Paul, James Balfour, Sir [in 英語] , ed. (1905). "SCOTT, DUKE OF BCCLEUCH" . The Scots peerage (英語). Vol. 2. Edinburgh : David Douglas. pp. 245–247. 2012年1月8日閲覧 。
^ a b c d e f g h Paton, Henry (1897). "Scott, Henry (1746-1812) ". In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 51. London: Smith, Elder & Co . pp. 25–26.
^ a b c Doyle, James William Edmund [in 英語] , ed. (1886). "DONCASTER." . The Official Baronage of England: Showing the Succession, Dignities, and Offices of Every Peer from 1066 to 1885 (英語). Vol. 1. London : Longmans . pp. 605–606. 2012年1月8日閲覧 。
^ a b c Burke, Bernard, Sir [in 英語] , ed. (1869). "BUCCLEUCH." . A genealogical and heraldic dictionary of the peerage and baronetage of the British Empire (英語) (31 ed.). London : Harrison. pp. 147–148. 2012年1月8日閲覧 。
^ "Douglas, Montague Scott Walter Francis, 5th Duke of Buccleugh and Queensbury. (DGLS806MS)" . A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
^ "Scott; Walter Francis (1806 - 1884); 5th Duke of Buccleuch and 7th Duke of Queensberry" . Record (英語). The Royal Society . 2012年1月8日閲覧 。
^ "No. 18429" . The London Gazette (英語). 4 January 1828. p. 26. 2012年1月8日閲覧 。
^ "No. 20048" . The London Gazette (英語). 3 December 1841. p. 3135. 2012年1月8日閲覧 。
^ "No. 18743" . The London Gazette (英語). 9 November 1830. p. 2345. 2012年1月8日閲覧 。
^ "No. 19243" . The London Gazette (英語). 24 February 1835. pp. 334–335. 2012年1月8日閲覧 。
^ "No. 20067" . The London Gazette (英語). 4 February 1842. p. 285. 2011年12月18日閲覧 。
^ "No. 20567" . The London Gazette (英語). 3 February 1846. p. 364. 2011年12月18日閲覧 。
^ "No. 20017" . The London Gazette (英語). 10 September 1841. p. 2273. 2011年12月18日閲覧 。
外部リンク