1944年5月16日、ヘンリーとエドワードは敷地内の湿地帯に生えている草木を焼き払っていた[15]。炎は制御不能なまでに燃え盛り、地元の消防隊が出動する事態となった。その日のうちに鎮火活動が終わり、消防隊員が撤収したのち、エドワードは「兄が行方不明になった」と通報した。捜索隊は、角燈と懐中電灯を使ってヘンリーを捜索し、やがて発見した。ヘンリーはうつ伏せの状態で倒れて死んでいた[16]。ヘンリーの死は、「一見すると、この発見現場で死んだように見受けられる」「火傷や怪我の形跡は無く、心不全で死んだ」と判断された[16]。1944年5月18日、何らかの犯罪が絡んでいる可能性について警察は却下し、郡の検死官はヘンリーの死因について、正式に「窒息」と発表した[12][17][18]。捜査当局は「エドワードには人を殺せない」と考えていた[1]。しかし、この死因は火災による負傷とは一致しない。ヘンリーの胴体に火傷の跡は見られず、頭部にはひどい打撲の傷が見られた[1][19][17][18]。ウィスコンシン州当局は「事故死」として受理したが、公式の調査も剖検も行われなかった[20]。ヘンリーの変死の真相については謎が多い。のちの1957年のバニース・ウォーデンの死について、州当局の捜査官ジョー・ウィリモフスキー(Joe Wilimovsky)はエドワードを尋問した際、ヘンリーの死についても尋ねた[15]。事件について調べたジョージ・W・アーント(George W. Arndt)は、回顧録の中で、ヘンリーの死について「この事件における『カインとアベル』の側面である可能性が高い」と記述している[21][22]。
デニース・ノエは、「異性や人間全般に対する猜疑心や敵意を植え付けて禁欲を促すのは、簡単かもしれないが、有害である。若い男性も若い女性も、『単なる友達』としての友情を保つ手段と、恋愛関係が必ずしも急速な肉体関係に繋がらないようにする方法を教わる必要があるが、性欲に対する感情的な恐怖心や破滅をもたらすような敵意から来る禁欲とは距離を置かねばならない。アウグスタ・ゲインの異様で偏狭な精神が示しているように、『Just Say No』(「きっぱりと断る、決して許容しない」)の姿勢は、それ自体が危険な強迫観念へと変わる可能性があるのだ」と書いた[11]。
1968年1月22日、病院で10年間過ごしたゲインは、「裁判を受ける資格がある」と判断され、その手続きが開始された[1]。1968年、ゲインを診察した医師は、「彼は弁護士と話し合えるし、自身の弁護に参加できる」との判断を下した[71]。この年の11月7日、ゲインの裁判が始まり[72][73][74][75][76]、一週間続いた。証人の1人として出廷した精神科医は、ゲインがバニース・ウォーデンを殺したことについて、「殺そうという意志を抱いての行為であったのか、それとも事故死であったのかが分からない」と語った、と証言した。ゲインは精神科医に対し、ウォーデンの店にあった一丁の銃を吟味していたとき、その銃が突然火を噴いて彼女は死んだ、と説明した[77]。ゲインは「小銃に弾丸を装填しようとしたあとにそれが発射された」と証言した。ゲインはウォーデンに対して小銃を向けてはおらず、その日の朝に起こった出来事については何も覚えてはいなかった[78]。弁護側からの要請に基づき、ゲインの裁判は陪審員抜きで行われた[76]。裁判の判事を務めたロバート・H・ガーマー(Robert H. Gollmar)は、ゲインに「有罪」を宣告した[4]。二次裁判では「ゲインの精神が正常か異常か」が争点となった[4]。検察側と弁護側の両方に向けられた医師による証言のあと、判事のガーマーはゲインを「精神異常により、無罪」との判決を下し、ゲインについて、「精神異常者である」として中央州立病院に収容するよう命じた[79]。ゲインはバニース・ウォーデン殺害事件で「第一級殺人」により「有罪」となるも、法廷は「バニース殺害の当日、ゲインは正気を失っていた」と認定し、「心神喪失」を理由に、ゲインに「無罪」を言い渡した[1]。
ゲインが住んでいた屋敷と、195エイカー(約79ヘクタール)の不動産資産は、「4700ドル」と評価された(2019年の時点で「42000ドル」に相当する)[82]。彼が所有していたものは、ゲインが住んでいた屋敷および屋敷が建っていた土地が観光名所となるかもしれない、との噂が広まっている最中の1958年3月30日に競売にかけられる予定であった。しかし、3月20日の早朝、屋敷で火事が発生し、燃え尽きた。副消防署長は、ゴミ処理の仕事に従事していた清掃員により、ゲインの屋敷から75フィート(約23m)離れた場所で、ゴミ焼却の炎が放たれた、と報告した。さらに、焚火が行われていた場所からは熱い石炭が回収され、焚火が行われていた場所から上がった炎は、地面に沿う形で屋敷に伝播していったわけではなかった[82]。放火の可能性が疑われたが、火災の原因については公式に特定されることは無かった[83]。当時の消防署長はゲインの犠牲となったバニース・ウォーデンの息子、フランク・ウォーデンであった。この火災は、緊急の要件としては対処されなかった可能性があるという[84]。ゲインは勾留されている時にこの火災を知ったが、それを伝えられた際のゲインは「Just as well.」(「そりゃ結構なこった」)と答えた[85][86]。
ゲインが犠牲者の遺体を運ぶのに使用した1949年のフォード・セダン(The 1949 Ford Sedan)は競売にかけられ、謝肉祭(Carnival)の余興運営者、バニー・ギボンス(Bunny Gibbons)が落札した。落札額は760ドルであった(2019年の時点で6700ドルに相当)[87]。ギボンスは謝肉祭の常連客に対し、それの見物料として25セントを請求した[88]。
1984年7月26日、ゲインはメンドータ精神衛生病院(The Mendota Mental Health Institute)にて、肺癌から来る呼吸不全で亡くなった。77歳であった[17][18]。
ゲインの死後、「記念品」を探し求める者がおり、プレイン・フィールド墓地内部にある墓石から破片を削り取り、2000年の時点で墓石が何者かに盗まれた。2001年6月、シアトル近郊でこの墓石が発見・回収され、ウォシェラ郡保安局(The Waushara County Sheriff's Department)にて保管された。ゲインは人目に付かない形で、両親と兄弟の間に埋葬されている[90]。
映画監督のエロール・モリス(Errol Morris)は、ドイツの映画監督、ヴェルナー・ヘルツォーク(Werner Herzog)と共同で、1975年から1976年にかけて、ゲインに関する映画を製作しようとするも失敗に終わった。モリスはゲインと数回面談し、1年かけてプレイン・フィールドの住民数十人への取材訪問に従事した。2人は見解を検証するため、ゲインの母・アウグスタが眠る墓からの遺体の発掘を密かに計画していたが、最終的に中止となった。中止となった計画は、1989年の『ザ・ニューヨーカー』(The New Yorker)に掲載されたモリスの略歴に記載された[93]。
『スレイヤー』(Slayer)のアルバム『Seasons in the Abyss』に収録されている『Dead Skin Mask』(1990年)、『マッドヴェイン』(Mudvayne)のアルバム『L.D. 50』に収録されている『Nothing to Gein』(2001年)、『ズィゲンズ』(The Ziggens)のアルバム『Rusty Never Sleeps』に収録されている『Ed Gein』(1992年)は、いずれもエド・ゲインを題材にしている。スレイヤーの曲目は、少女がゲインに対して、自分を解放して欲しい、と懇願する内容が特徴的であるが、ゲインは人を捕虜にするようなことはしなかった。彼が殺したのは2人の中年女性だけである。
マリリン・マンソン(Marilyn Manson)の元ベース奏者、ブラッドリー・マーク・"ブラッド"・スチュアート(Bradley Mark "Brad" Stewart)の舞台名は「ギジェット・ゲイン」(Gidget Gein)であり、エド・ゲインの名から取った[98]。
^ abcd“Ed Gein Found Guilty of 1957 Murder in Plainfield”. The Capital Times (Madison, Wisconsin): p. 2, col. 4. (November 14, 1958). "Ed Gein, the handyman whose home became known as a "house of horrors" 11 years ago, was found guilty today of first degree murder.(「11年前に「戦慄の館」の主人として知られるようになり、よろず屋であったエド・ゲインは、本日、第一級殺人の罪で『有罪』を宣告された」)"
^ ab“Rites Today For Man Who Died in Roche-a-Cri Fire”. Wisconsin Rapids Daily Tribune (Wisconsin Rapids, Wisconsin: Thomsen Newspapers, Inc.): p. 1. (May 19, 1944)
^Stone, Michael H.; Brucato, Gary (2019). The New Evil: Understanding the Emergence of Modern Violent Crime. Amherst, New York: Prometheus Books. p. 8. ISBN978-1633885325
^Gollmar 1981, p. 192, "Judge Gollmar relied on the detailed report of state crime lab investigator Allan Wilimovsky who searched the Gein house, inventoried the evidence and interviewed Edward Gein. Gollmar also quotes other contemporary investigators, including Captain Lloyd Schoesphoester (Green Lake Sheriff's Dept.) who assisted the investigation of the Worden murder and search of Gein's home."(「ガーマー判事は、ゲインの家を捜索し、証拠を調査し、エドワード・ゲインと面談した州立犯罪研究所の調査官、アラン・ウィリモフスキーの詳細な報告を信用した。また、ウォーデン殺人事件の捜査とゲインの自宅の家宅捜索を支援した、グリーン・レイク保安局のロイド・ショースフォスター警部を含む当時の捜査官の言葉を引用している」).
^“Ed Gein Will Be in Court”. Oshkosh Daily Northwestern (Oshkosh, Wisconsin): p. 4, col. 6. (November 6, 1968)
^“Gein Trial Under Way”. Oshkosh Daily Northwestern: p. 1. (November 7, 1968). "Circuit Judge Robert Gollmar of Baraboo ruled today that the murder trial of Ed Gein of Plainfield will be heard without a jury. ... The first trial witness called by the prosecution this morning was Leon Murty of Wild Rose.(「バラブーの巡回裁判官、ロバート・ガーマーは、本日、プレイン・フィールドのエド・ゲインの殺人裁判は陪審員無しで審理される、と裁定した。・・・今朝、検察が呼び出した一次裁判の証人は、ワイルド・ローズのレオン・マーティであった」)"
^“Ed Gein Trial Opens Thursday in Wautoma”. The Daily Telegram (Eau Claire, Wisconsin): p. 8B. (November 5, 1968). "Ed Gein, charged in the murder and robbery of a Plainfield widow nearly 11 years ago this November, goes to trial Thursday.(「11年近く前、プレイン・フィールドに住む未亡人の殺害と強盗で起訴されたエド・ゲインは、本日木曜日、裁判にかけられる」)"
^“Gein Trial Set Nov. 7”. Wisconsin State Journal (Madison, Wisconsin): p. 7. (October 20, 1968). "The murder trial of Edward Gein, 62, charged in the 1957 slaying of a Plainfield woman, will begin Nov. 7 before Judge Robert Gollmar.(「1957年にプレイン・フィールドに住む女性を殺害したとして起訴されたエドワード・ゲイン(62歳)の裁判は、ロバート・ガーマー判事のもと、11月7日に始まる」)"
^“Wisconsin Killer Gein Ruled Guilty, Insane”. Chicago Tribune. (November 15, 1968). "Ed Gein, 62, the recluse who horrified the nation in 1957 when the remains of 11 bodies were found on his farm, was ruled today to have been insane when he killed a Plainfield, Wis., woman.(「1957年、自身の農場で11体の遺体が発見されたことでアメリカを恐怖に陥れた隠遁生活者、エド・ゲイン(62)は、ウィスコンシン州プレイン・フィールドにいたある女性を殺した。本日、彼は「正気を失っている」と裁定された」)"
^Hintz, Martin (2007). Got Murder?: Shocking True Stories of Wisconsins Notorious Killers. Boulder, Colorado: Big Earth Publishing. p. 62. ISBN978-1-931599-96-2
^Gollmar, Robert H.; Arndt, George W. (1989). “Appendix A: Gein Humor”. Edward Gein: America's Most Bizarre Serial Killer (3rd ed.). New York City: Pinnacle Books. ISBN978-1558171879
^Arndt, George W.. Horror, Humor and Human Nature: Community Reactions to a Horrifying Event. Topeka, Kansas: Menninger School of Psychiatry
Stone, Michael H., M.D. & Brucato, Gary, Ph.D., The New Evil: Understanding the Emergence of Modern Violent Crime (Amherst, N.Y.: Prometheus Books), pp. 78–83. ISBN978-1-63388-532-5.