1913年には、バイソン・スタジオはユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に経営統合され、量産されるフォード=キュナードの短篇映画・シリアル映画は、ユニヴァーサルが配給を行うようになる[1]。同年、 The Black Masks をフランシス・フォードと共同で脚本を執筆、共同で監督、コンビで主演して監督業にも進出する[1]。フォード=キュナード・コンビのなかでも、1915年に製作・公開されたシリアル映画『名金』は、日本でも公開され、爆発的なヒットとなった。
1917年にはフォードの弟で俳優のジャック・フォード(のちのジョン・フォード)の監督デビュー作『颱風』にフランシス・フォードとともに脚本を提供する[1][4]。そのころにはフォード=キュナードの短篇映画量産の時代は終息迎え、1918年には、ユニヴァーサル子会社・ブルーバード映画製作、ジョセフ・ド・グラス監督の『涙痕』に主演[1]、同作は日本でも公開された[5]。1920年、ユニヴァーサルを離れ、小プロダクションで主演・監督作を手がけるが、翌1921年の Her Western Adventure をもって監督業から撤退する[1]。