ジェームズ・コリンズ (1983年生のサッカー選手)
ジェームズ・マイケル・コリンズ(James Michael Collins, 1983年8月23日 - )は、ウェールズ・ニューポート出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはDF(センターバック)。 クラブ歴カーディフ15歳でカーディフ・シティFCのユースに入団する[1]。2000年11月19日のFAカップ・ブリストル・ローヴァーズFC戦において、ロバート・アーンショウとの交代でピッチに立ち17歳でプロデビュー[2]。2001年11月20日のコルチェスター・ユナイテッドFC戦ではFWとして起用され、初ゴールを記録した[3]。FLチャンピオンシップ(2部)に昇格した2003-04シーズンから徐々に出場機会を確保し、翌シーズンには34試合に出場した。2005年1月には新たに3年半の契約を締結[4]。同年にはウェールズ年間最優秀若手選手に選出された[5]。 ウェストハム2005年7月にプレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCへダニー・ガビドンと共に移籍金合計350万ポンドで加入[5]。9月20日のリーグカップ・シェフィールド・ウェンズデイFC戦でデビューする。当時のクラブにはガビドンに加えマシュー・アップソン、アントン・ファーディナンド、ルーカス・ニールらが在籍しており出場機会は限られたが、2006-07シーズンにはファーディナンドとコンビを組みクラブのプレミアリーグ残留に貢献した。2008年1月28日に行われたポーツマスFCとのリザーブゲームで膝の靭帯を負傷[6]。8月にクイーンズ・パーク・レンジャーズFCとの親善試合で復帰した[7]。2009年2月のボルトン・ワンダラーズFC戦でハムストリングを負傷し4週間の戦線離脱となる[8]。 アストン・ヴィラ2009年9月1日にマーティン・オニール監督率いるアストン・ヴィラFCへ移籍。マルティン・ラウルセンの引退やザット・ナイトの放出によって守備陣が手薄となったクラブと4年契約を締結した[9][10]。加入初年度の2009-10シーズンにはリチャード・ダン、またはカルロス・クエジャルと共に鉄壁のCBコンビを形成。9月13日のバーミンガム・ダービーで加入後初出場となり、クリーンシートでの勝利で飾った[11]。10月17日のチェルシーFC戦では自身4年振りのゴールを挙げるとこれが決勝点となり、マン・オブ・ザ・マッチに選出される[12]。マンチェスター・ユナイテッドFCとのリーグカップ決勝ではフル出場を果たしたが、1-2で敗れ準決勝となった[13]。リーグで4番目に少ない39失点に抑え、UEFAヨーロッパリーグ・プレーオフ出場権獲得に貢献した。 2010-11シーズンのクラブは開幕から低迷し、ジェラール・ウリエ監督と選手の対立も発生した。2011年3月には同僚のダンと共にチーム内で騒ぎを起こすとクラブの内部調査に発展する。両者は後日この件に関して謝罪した[14]。 ウェストハム復帰2012年8月、プレミアリーグに復帰した古巣ウェストハムへ4年契約で舞い戻る[15]。2012-13シーズンは前所属ヴィラとの開幕戦となり、サム・アラダイス監督の下ウィンストン・リードとセンターバックとしてスタメンで起用され1-0での勝利に貢献[16]。この復帰戦ではマン・オブ・ザ・マッチにも選出された[17]。2013年1月5日のFAカップ3回戦・マンチェスター・ユナイテッド戦ではいずれもジョー・コールのクロスからのヘディングで2得点を記録[18]。2015年12月24日には契約を2年間延長した[19]。2017-18シーズンが閉幕すると、契約満了によりロンドン・スタジアムを去る[20]。ハマーズでの2度の所属期間に公式戦通算200試合に出場した。 ウェストハム退団後はアストン・ヴィラでトレーニングを積み、12月にディーン・スミス監督から5週間の契約を提案される[21]。しかし脹脛の負傷を理由にこのオファーを辞退した[22]。 イプスウィッチチャンピオンシップで最下位に沈むイプスウィッチ・タウンFCのポール・ランバート監督から興味を示され、2019年1月11日にシーズン終了までの契約を締結[23]。翌日のロザラム・ユナイテッドFC戦でデビューとなった[24]。しかし 6試合の出場に止まりクラブはEFLリーグ1へ降格。契約満了によりポートマン・ロードを後にした[25]。 代表歴ウェールズ代表の各年代でプレー。2004年にマーク・ヒューズ監督から招集を受け、5月27日のノルウェー戦でA代表デビューを果たした。これによりウェールズ代表史上初めて学生選抜から全世代のカテゴリーを経験した選手となった[4]。 新監督に就任したジョン・トシャックの判断によりU-21チームへ戻され、2005年1月のUEFA U-21欧州選手権予選・ドイツ戦ではキャプテンに任命された[26]。 2007年10月13日のEURO2008予選・キプロス戦で代表初ゴールとなる先制点を記録[27]。2012年9月7日のブラジルW杯欧州予選・ベルギー戦では、前半26分に相手右サイドバックのギヨーム・ジレに両足でタックルを仕掛け一発退場となった[28]。EURO2016のメンバーにも選出された[29]。 2013年9月にクリス・コールマン監督と対立したが翌月に代表へ復帰する[30]。 2017年11月、代表からの引退を表明した[31]。 人物赤毛(ジンジャー・ヘア)のため「The Ginger Pelé」、「Ginge」の愛称をもつ[32][33]。 関連項目脚注
外部リンク
Information related to ジェームズ・コリンズ (1983年生のサッカー選手) |