ストラフォード伯爵
ストラフォード伯爵(ストラフォードはくしゃく、英語: Earl of Strafford)は、イギリスの伯爵位。 過去に三回創設されており、第1期はトマス・ウェントワースが1640年にイングランド貴族として叙されたのに始まるが、二代で絶えた。第2期はその弟の孫であるトマス・ウェントワースが1711年にグレートブリテン貴族として叙されたのに始まるが、3代で絶えた。現存する第3期はトリントン子爵ビング家の分流でウェントワース家の女系の子孫であるジョン・ビングが1847年に連合王国貴族として叙されたのに始まる。 歴史ウェントワース家(第1期)ウェントワース家はヨークシャー・ウェントワース・ウッドハウスを中心に土地を保有するジェントリ(地主)の家系である。ウェントワース家の当主で最初に称号を得たのは1611年6月29日に準男爵に叙せられたウィリアム・ウェントワース (-1614) である[1]。 彼の長男である第2代準男爵トマス・ウェントワース (1593–1641) は、清教徒革命(イングランド内戦)前夜の国王チャールズ1世の親政期(1629年 - 1640年)にカンタベリー大主教ウィリアム・ロードと共に国王側近として専制政治を行い、1640年から1641年にかけての議会で専制政治の責任を追及されて処刑された人物として知られる[2]。それまでに国王から次々と爵位を与えられ、1628年7月22日にイングランド貴族爵位「ウェントワース・ウッドハウスのウェントワース男爵 (Baron Wentworth, of Wentworth Woodhouse)」と「ニューマーチ=オーバーズリー男爵 (Baron of Newmarch and Oversley)」、同年12月13日に「ウェントワース子爵 (Viscount Wentworth)」、そして1640年1月12日にストラフォード伯爵と「ダラム州・主教管区におけるレイビー男爵 (Baron of Raby in the County or Bishopric of Durham)」に叙せられた。このうちレイビー男爵は弟ウィリアムとジョージへの特別継承権が認められていた[1]。 初代伯の処刑とともに全保有爵位が剥奪されたが、王政復古後の1662年5月19日の議会法により、初代伯の長男ウィリアム(1626–1695) に爵位回復が認められた。しかし彼には子供がなく、彼の死とともにレイビー男爵位を除く全爵位が廃絶した[1]。 ウェントワース家(第2期)レイビー男爵位のみ特別継承権で初代伯(第1期)トマスの弟ウィリアムの孫にあたるトマス・ウェントワース (1672–1739)に継承された。彼は軍人・外交官・政治家として活躍し、駐プロイセン大使(在職1705年-1711年)や駐オランダ大使(在職1711年-1714年)、海軍大臣(在職1712年-1714年)などを歴任し、1711年6月29日に新規にグレートブリテン貴族爵位「ヨーク州におけるスタインバラおよびウェントワース・ウッドハウスのウェントワース子爵 (Viscount Wentworth, of Wentworth Woodhouse and of Stainborough in the County of York)」とストラフォード伯爵に叙せられた。この2つの爵位は特別継承権として弟ピーターへの継承権を認めていた[3]。 初代伯の死後、その長男であるウィリアム(1722–1791) が2代伯爵を継承したが、彼には子供がなかったため、彼の死後、特別継承権の規定により初代伯の弟ピーターの孫にあたるフレデリック (1732–1799) が爵位を継承した。しかし彼も子供がなかったので彼の死とともに爵位は廃絶した[3]。 ビング家初代ストラフォード伯(第2期)トマスの孫娘アン・コノリーとジョージ・ビング(初代トリントン子爵ジョージ・ビングの四男ロバート・ビングの長男)の間の四男であるジョン・ビング (1772–1860)は、陸軍軍人としてフランス革命戦争やナポレオン戦争に従軍し、陸軍元帥まで昇進した人物である[4][5][6]。彼は1835年5月12日に連合王国貴族「ミドルセックス州におけるハーモンズワースのストラフォード男爵 (Baron Strafford, of Harmondsworth in the County of Middlesex) 」、1847年9月18日に連合王国貴族「ミドルセックス州におけるインフィールドのインフィールド子爵 (Viscount Enfield of Enfield in the County of Middlesex)」とストラフォード伯爵に叙せられた。以降これらの爵位は彼の男系男子によって現在まで継承されている[5]。 2代伯ジョージ(1806–1886) と3代伯ジョージ(1830–1898) は、ホイッグ党・自由党の政治家として政府の役職を歴任した[5]。 2017年現在の当主は第9代伯爵ロバート・ビング (1964-) である。家訓は「守り抜く (Tuebor) 」[5]。 現当主の保有爵位現当主の9代ストラフォード伯ロバート・ビングは以下の爵位を保有している[5]。
一覧ウェントワース・ウッドハウスのウェントワース準男爵 (1611年)
ストラフォード伯 第1期 (1640年)
レイビー男爵 (1640年)
ストラフォード伯 第2期 (1711年)
ストラフォード伯 第3期 (1847年)
系譜図系譜図
脚注注釈出典
参考文献
関連項目 |