タイ王国空軍 กองทัพอากาศไทย The Royal Thai Air Force
創設
1913年 11月2日 国籍
タイ 忠誠
タイ国王
(現在:ワチラロンコン国王 ) 軍種
空軍 任務
国防 兵力
4,5000人の兵士 上級部隊
タイ王国軍 基地
ドンムアン空軍基地 行進曲
มาร์ชกองทัพอากาศ (Royal Thai Air Force March) 記念日
1937年 4月9日
(タイ王国空軍の日) 作戦機
288機 主な戦歴
第一次世界大戦
泰・仏印国境紛争
第二次世界大戦
朝鮮戦争
ベトナム戦争 指揮 現司令官
ジョム・ルンサワン空軍大将[ 1]
(Johm Rungswang) 識別 タイ王国空軍旗
服装識別章
機体識別章
使用作戦機 攻撃機
アルファジェット , F-16A/B ブロック 15 OCU 電子戦機
サーブ 340 AEW&C 戦闘機
JAS-39C/D , F-16AM/BM , F-5E/F ヘリ
UH-1 , ベル 412 , S-92 , EC725 要撃機
F-16 ADF 偵察機
サーブ 340B ELINT/COMINT , DA42 MPP , P.180 練習機
CT/4 , T-41D , PC-9 , DA42 , L-39 , T-50TH 輸送機
C-130 , BT-67 , ATR-72 , 737-400/800 , A319/A320 , A340-500 , SSJ-100-95LR , AU-23 テンプレートを表示
タイ王国空軍 (タイおうこくくうぐん、タイ語 名:กองทัพอากาศไทย 、タイ語略名:ทอ. 、英語 名:The Royal Thai Air Force:RTAF)は、タイ王国 国防省 に属する空軍 。タイ王国軍 最高司令部 の統轄下にある。1913年 11月2日 創設。
歴史
1911年 2月2日 、ベルギー人 パイロット "Charles Van Den Born"がサラパトゥム競馬場において、タイ王国 で最初に航空機 (オーヴィル・ライト型 飛行機)を紹介した。その展示された航空機にサヤーム王国陸軍局局長であったヂャックラボンセ・ブワナート王子(ピサヌローク王子)は多大な関心を示し、1912年 2月28日 、タイ王国を飛行機先進国とするという使命を帯びた3名の将校 を航空技術習得のためにフランス に派遣した。派遣された3名の将校、ルアン・サックサンラヤーウット少佐 (スニー・スワンナプラティープ)、ルアン・アーウットシキゴーン大尉 (ロン・シンスック)、ティップ・ゲトゥタット中尉 は飛行技術を習得し、1913年 11月2日 、8機の航空機(ブレゲー 4機、ニューポール 4機)とともに本国に帰国。この3名の将校は、今日「タイ空軍の父」と見なされている。
1914年 3月1日 、ピサヌローク王子はサラパトゥム飛行場をドンムアン に移し、国防省 はこの初期の空軍を「陸軍航空隊 」として陸軍 工兵 監督総務部の管轄下に置いくことを提案、3月27日 に承認された。そのため、3月27日は「空軍設立記念日」となっている[ 2] 。その後、工兵隊司令官 プラチャトラ王子と弟のピサヌローク王子がタイ王国軍 の空挺 作戦 の発展と地位の向上に多大に寄与してゆくことになった。
第一次世界大戦 時、タイは連合国 側について参戦。それに伴い「陸軍航空隊」は「陸軍航空局」に昇格。その後、1919年 、さらに組織拡充を行い「空軍局」に昇格。1937年 4月1日 「王国空軍」となる。
タイ・フランス領インドシナ紛争 時には、タイ王国空軍はヴィシー政権 フランス空軍 に空対空戦闘 を挑み、戦果を挙げ、第二次世界大戦 時は1942年 に日本軍 と同盟を結びビルマ シャン州 に駐留していた陸軍に協力したり、戦争末期にはバンコク を空襲 から守るために出撃を行ったりしていた。また、当時の空軍軍人 の中には個人的に反日レジスタンス運動 に加わる者もいたという。第二次大戦以降、空軍は朝鮮戦争 時には国連軍 支援のためにC-47 スカイトレイン 輸送機 3機を派遣。このC-47輸送機を操縦する航空団はベトナム戦争 の際にも国連軍を支援した。反共掃討のために、国境 地帯では数多くの空挺作戦が行われており、ラオス のバーン・ナムター空襲、タイ・カンボジア 国境でのタイ・ベトナム紛争時の空挺作戦が知られる。
冷戦 終結後、空軍は1999年 ミャンマー に対する第9631地点国境作戦に参加。さらに2003年 、カンボジアプノンペン 暴動 の際には在住タイ人と外国人の救出に出動した。
現在、11航空団・航空教育学校1校・320機程度の航空機(うち180機程度が戦闘機 )を保有する。
組織
タイ王国空軍は国防省 の国軍最高司令部 (กองบัญชาการกองทัพไทย)の下位組織である。空軍は、以下の5つの業務群からなる。
空軍司令部-バンコク ・ドンムアン空港 に立地し、主に作戦 立案・指揮 を含めた総務を行う。司令部の命令系統は以下のようになっている。陸軍司令官 (Commander of the Royal Thai Air Force, ผู้บัญชาการทหารอากาศไทย)→空軍副司令官→空軍司令官補→参謀長
実戦部隊
補給業務群-エンジニアリング ・通信 ・医療・輸送 ・兵器 や物資の管理・補給 業務を行う。
航空教育群-空軍全体の教育プログラムの調整と監督を行う。
特別活動群-空軍軍人 の福利厚生、民間航空会社との連携などを行う。
実戦部隊
L-39ZA/ART アルバトロス 、アルファジェットA 、F-16A ファイティングファルコン 、フェアチャイルド AU-23A 、2007年 タイ・こどもの日の航空ショー
空軍の実戦部隊 群は、11の航空団・航空教育学校と数隊の空軍参謀本部 直属部隊によって構成される。
タイ空軍作戦参謀本部
タイ空軍安全保障部隊
航空教育学校
航空教育学校は3隊の航空隊から成り、第1航空教育隊、第2航空教育隊、第3航空教育隊。教育団はナコーンパトム県 ガムペーンセーン空軍基地内にある。
第1航空団
第2航空団
第4航空団
第5航空団
第6航空団
第7航空団
第21航空団
第23航空団
第41航空団
第46航空団
第56航空団
第56航空団は、創設中の航空師団。ソンクラー県 ハジャイ空軍基地に所属。
コマンド中隊
コマンド中隊 はおよそ100名で構成される中隊 であり、タイ空軍特殊戦闘部隊 として1970年代 から存在する。本拠地はドンムアン空軍基地 であり、ハイジャック 対応能力を持つ。強襲小隊 を3小隊持ち、それぞれ小隊はさらに2部隊 のより小さなユニットに分かれている。
飛行隊
基地
チエンマイ県 ドイステープ山のヘリパッド から飛び立つ2機のベル 412
タイ王国空軍は、多くの近代空軍基地 を保有しており、基地では作戦 任務・輸送 ・訓練など軍業務が行われている。
1954年 -1968年 の間に整備された空軍基地は恒久的な建造物 と陸上支援施設を保有しており、これらのいくつかの基地はアメリカ軍 の空軍基地ネットワークに組み込まれて建造され、1976年 に米軍がタイ から撤退するまで利用された。政府間協定に基づき、撤退した米軍が残した施設はタイ空軍によって接収され、タークリー空軍基地(ナコーンサワン県 )・コラート空軍基地(ナコーンラーチャシーマー県 )の建設に利用されたものと推測される。
1980年代 、これらの空軍基地とバンコク 郊外に位置するドンムアン空軍基地 の民間共用が行われるようになるが、米軍の残していった施設はタイ 国内の必要量をはるかに超えた大きな施設であったために多大なメンテナンス 費用がかかっていた。しかし、当時すべての滑走路 が利用可能であり、戦略的に重要な役割を負っていた。
現在、タイ空軍はドンムアン国際空港に接続する形で空軍本部基地を持ち、また、コラート空軍基地・ウボンラーチャターニー空軍基地 ・タークリー空軍基地を大規模空軍基地施設として運用している。
兵装
所有機
タイ王国空軍史上の飛行機
タイ王国空軍史上、重要な機体[ 7] 。
調達計画関連
戦闘機・訓練機
飛行中のF-16 OCU Block 15
JAS39C
Saab 340 AEW&C
新攻撃機調達計画 - タイ ではタイ王国空軍第20攻撃機計画として知られており、タイ空軍は老朽化したF-5 戦闘機 の代替として3種のモデルについて購入検討を行い、2011年 までに12機の機体を導入する予定であった。検討された戦闘機はアメリカのF-16C/D Block 50/52 、ロシア のSu-30MKIT 、そして、JAS 39だった。
2007年 10月17日 の記者会見において、6機のJAS 39C/D とさらにオプション6機以上を導入するとチャリット・プックパースック空軍大将 が発表した[ 10] 。その後、12機のJAS 39、2機の早期警戒エリアイレーダー搭載サーブ 340 、1機のサーブ 340、導入機体に関する訓練と技術移転、RBS-15 艦対艦ミサイル を2期に分けて導入されることになった。
第1期(ピース・スワンナプームI)2008年 -2012年 、JAS 39 6機、エリアイレーダー搭載サーブ 340 1機。
第2期(ピース・スワンナプームII)2013年 -2017年 、JAS 39 6機、エリアイレーダー搭載サーブ 340 1機、サーブ 340 1機[ 11] [ 12] 。
2008年8月、内閣が第1期導入計画予算を承認。予算規模は第1期は190億バーツ (約610億円)、第2期6機が154億バーツ(約495億円)となっている[ 13] 。
この第1期190億バーツ相当の予算には、JAS 39 6機(単座Cモデル2機、複座Dモデル4機、およびサポート・訓練・スペアパーツ)。さらに、エリアイレーダー搭載サーブ 340 1機、データリンク・システム 、スウェーデン への修士学生92名分の奨学助成枠の契約内容が含まれている[ 14] [ 15] 。
2008年2月11日 、グリペン購入契約書をスウェーデン軍 軍需品管理局で締結[ 16] 。
2011年2月22日 、第1期JAS 39 6機がスラートターニー空軍基地 に配備された[ 17] 。
独自開発練習機 - 2007年 11月5日 、タイ空軍によって開発された新たな試作 練習機 B.Cho.2(บ.ชอ.2)がチャリット空軍大将によって公式に発表された。開発プロジェクトは2年前から始まり、費用3,000万バーツ。この練習機はタイ空軍で就役していたアエルマッキ SF-260 をベースにライセンス再設計された機体。この試作機は、ガムペーンセーン空軍基地のタイ空軍航空教育学校と第604民間パイロット教育飛行隊で初等訓練機として使用することを目的としたタイ空軍モデル-6(RTAF-6)開発のためのテストに使用される[ 18] 。
複発エンジン練習機 - タイ空軍は双発エンジン 航空機 の訓練に使用する目的で6機のDA42 の購入を承諾した[ 19] 。
輸送機・ヘリコプター
機体損失事故
参考文献
Wieliczko, Leszek A. and Zygmunt Szeremeta. Nakajima Ki 27 Nate (ポーランド語/英語). Lublin, Poland: Kagero, 2004. ISBN 83-89088-51-7 .
関連項目
外部リンク