ダニエル・アランスビア
ダニエル・アランスビア・アグアード(Daniel Aranzubía Aguado、1979年9月18日 - )は、スペイン・ログローニョ出身の元サッカー選手。ポジションはGK。 経歴クラブアスレティック・ビルバオラ・リオハ州・ログローニョに生まれたが、バスク州・ビルバオにあるアスレティック・ビルバオの名高い下部組織(レサマ)で育ち、サードチームであるCDバスコニア、セカンドチームであるビルバオ・アスレティックなどからトップチームでの出場機会をうかがった。2001年4月10日のレアル・ソシエダとのバスク・ダービー(1-3)でトップデビュー。2002-03シーズンまでイニャキ・ラフエンテの控えとして過ごすが、2003-04シーズンにラフエンテからレギュラーを奪うとこの年は5位でUEFAカップ出場権を獲得した。そして、クラブとの契約を4年間延長している[1]。それ以降はラフエンテと激しいポジション争いを繰り広げた。 しかし、2007年夏にラフエンテがRCDエスパニョールへレンタル移籍すると、そのエスパニョールから入れ替わりでゴルカ・イライソスが加入。アランスビアは余剰戦力とみなされ、イライソスの負傷中さえも出場機会を与えられなかった(その際はカディスCFから急遽加入したアルマンド・リベイロがゴールを守った)。 デポルティーボ・ラ・コルーニャ2008年7月12日、デポルティーボ・ラ・コルーニャにフリートランスファーで入団するとすぐにUEFAインタートトカップで優勝してUEFAカップの出場権を勝ち取った。10月2日のUEFAカップ1回戦・SKブラン戦はPK戦にもつれ込んだが3本を止める大活躍で勝利に貢献し、グループリーグ出場権を手にした[2]。2008-09シーズンのリーグ戦は出場停止による1試合を除く37試合に出場。リーグ3位の47失点と奮闘し、正GKとしての座を確立した。 2010-11シーズンは開幕前の負傷で出遅れ、序盤6試合を欠場したが、その後はレギュラーに返り咲いた。2011年2月20日のUDアルメリア戦(1-1)は敗戦濃厚だったが、後半ロスタイムのコーナーキックのチャンスで相手ゴール前に飛び出してヘディングシュートを決めた[3][4]。リーガ・エスパニョーラではGKがPKやFKで得点を決めたことはあるが、流れの中での得点は史上初の快挙だった[5]。しかし、この年チームは得点力不足に悩まされ、アランスビア等守備陣の奮闘もむなしく18位に終わり2部降格となった。 アトレティコ・マドリード2013年8月13日、アトレティコ・マドリードへの移籍が決定。契約期間は1年[6]。同年12月11日、UEFAチャンピオンズリーグのFCポルト戦にて先発フル出場して移籍後初出場を果たし、2-0での勝利に貢献した[7]。 翌年2月14日、正GKだったティボ・クルトゥワの負傷により、この日のUDアルメリア戦で急遽ラ・リーガでの出番を得た[8]。アランスビアはシーズンを通してクルトワのバックアップとして在籍していたため、アトレティコでの公式戦出場は5試合のみだった。 代表1999年にはU-21スペイン代表としてナイジェリアで開催されたFIFAワールドユース選手権に出場して優勝した(準優勝は日本)。2000年にはU-23スペイン代表としてシドニーオリンピックに出場して銀メダルを獲得した。アランスビアの2歳年下には現在スペイン代表の正GKを務めるイケル・カシージャスがいるが、どちらの大会もアランスビアが正GKだった[9]。 2004年6月5日、ヘタフェで行われたアンドラ共和国との親善試合で、サンティアゴ・カニサレスとの交代で途中出場し、スペイン代表デビューを果たした。UEFA欧州選手権2004には第3GKとして参加した[10]。 ただ、A代表ではユース時代とは対照的にカシージャスの壁は厚く、国内屈指の実力者ではあるものの代表とは縁遠い。 所属クラブ
タイトルクラブ
代表
関連項目脚注
外部リンク
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