ムーアはエメットの友人ではあったが、エメットとハドソンによるアイルランド人連合(英語版)には加わらず、1798年のアイルランド一揆(英語版)や[3]、エメットが処刑された1803年のアイルランド一揆には参加しなかった[4]。ムーアは1808年の歌「おお、彼の名を囁くなかれ (O, Breathe Not His Name)」において絞首刑になったエメットを追悼している。1817年の長詩『ララ・ルック』においても婉曲な表現でエメットに言及している[3]。
1801年には仮名で詩集『故トマス・リトル氏詩集 (Poetical Works of the Late Thomas Little Esq.)』を出版した。仮名を使ったのはそのエロティシズムのためかもしれない。接吻や抱擁の賛美は当時の作法の基準をはみだすものだった。この詩集は比較的成功したが、ヴィクトリア朝時代に基準が厳格化すると出版できなくなった[7][8]。
1804年に帰国後、1806年に『Epistles, Odes, and Other Poems』を出版した。この書物を批判したフランシス・ジェフリーとは決闘になったが、その後ふたりは親友になった[10]。しかしながら決闘に使った銃に弾がはいっていなかったという噂にムーアは悩まされた。バイロンが1809年の風刺詩『イングランド詩人とスコットランド批評家』 (English Bards and Scotch Reviewers) でこのことを揶揄したため彼とも決闘に及びかけたが、後に和解してバイロンとも生涯友人であり続けた[11][7]。
1840年代後半(アイルランドがジャガイモ飢饉に襲われた時期)にムーアは衰弱しはじめ、1849年12月に突然老衰の症状が現れた。1852年2月25日に72歳で没したが、妻、5人の子供たちすべて、および友人のほとんどはそれより先に死んでいた。ムーアはウィルトシャーのディヴァイジズ(英語版)近くのブロマム (Bromham, Wiltshire) の教会付属墓地に埋葬された[24][25]。ムーアの管財人に指定されたラッセル前首相は、故人の遺志に基いて1853年から1856年にかけて遺文を『トマス・ムーア回想・日記・書簡集』(Memoirs, Journal, and Correspondence of Thomas Moore, 全8巻)として出版した[26]。
出版者ジェームズ・アンド・ウィリアム・パワーの依頼に答えて、ムーアはハイドンがイギリス民謡を編曲したのと同様のやり方で、ジョン・アンドルー・スティーヴンソン (John Andrew Stevenson) を編曲者としてアイルランド民謡に作詞した。音楽の主な素材はトリニティ時代にエドワード・ハドソンから教えられたエドワード・バンティング (Edward Bunting) 『アイルランド古謡総集』(A General Collection of the Ancient Irish Music, 1797)を使用した[31]。『アイリッシュ・メロディー』は全10巻および補遺からなり、1808年から1834年までの26年間かけて出版された。スティーヴンソンが1833年に没したため、最終巻はヘンリー・ビショップが編曲している。
『アイリッシュ・メロディー』は大変な成功を収めた。「夏の名残のばら」、「ミンストレル・ボーイ(英語版)」、「春の日の花と輝く(英語版)」、「Oft in the Stilly Night」などは非常に人気があり、英語の替え歌のみならずドイツ語・イタリア語・ハンガリー語・チェコ語・フランス語にも翻訳され、1830年に出版されたベルリオーズの『アイルランド歌曲集』作品2 (fr:Irlande (Berlioz)) はフランス語訳に作曲したものである[32]。アメリカ合衆国において『夏の名残のばら』は100万部以上売れた[33]。
^Book the First, Chapter XIII, Moore, Thomas (1993). Political and Historical Writings on Irish and British Affairs by Thomas Moore, Introduced by Brendan Clifford. Belfast: Athol Books. pp. 49–50. ISBN0-85034-067-5
^from Memoirs of Captain Rock, Book the Second, Chapter I, Moore, Thomas (1993). Political and Historical Writings on Irish and British Affairs by Thomas Moore, Introduced by Brendan Clifford. Belfast: Athol Books. pp. 53–55. ISBN0-85034-067-5
^Love, Timothy (Spring 2017). “Gender and the Nationalistic Ballad: Thomas Davis, Thomas Moore, and Their Songs” (英語). New Hibernia Review (Center for Irish Studies at the University of St. Thomas) 21 (1): 76. doi:10.1353/nhr.2017.0005. ISSN1534-5815. 660979.
^The James Joyce Songbook, edited and with a commentary by Ruth Bauerle (New York: Garland Publishing, 1982), pp. 158–160.
^Cochran, Peter (2014). The Burning of Byron's Memoirs: New and Unpublished Essays and Papers. Newcastle upon Tyne: Cambridge Scholars. ISBN978-1-4438-6815-0. pp. 6–7
^Marchand, Leslie (1970). Byron: a Portrait. New York: Knopf. pp. 466–467. ISBN978-0-394-41820-9
^Hawthorne, Mark (1975). “Thomas Moore's "The Epicurean": The Anacreontic Poet in Search of Eternity”. Studies in Romanticism14 (3): 249–272. doi:10.2307/25599975. JSTOR25599975.