ノート:部落問題/過去ログ2
信教の自由云々信教の自由は寺請け制度の影響で被差別部落に限らないと思いますが。○○派が多いというのはデータに拠らなければただの偏見だと思います。研究的にはどこかだけが多いというほどの偏りはないようです。johncapistrano 2006年1月15日 (日) 13:27 (UTC) アファーマティブアクションが全世界的に是認されているような表記はいかがなものでしょうか。—以上の署名の無いコメントは、210.139.78.119(会話/Whois)さんが 2006年3月20日 (月) 18:34 (UTC) に投稿したものです。 特殊部落地名総鑑事件特殊部落地名総鑑事件は? 大切ではありませんか。 Bueller 007 2006年3月27日 (月) 11:08 (UTC) どこが大切なのか理解に苦しむ。—以上の署名の無いコメントは、221.245.243.210(会話/Whois)さんが 2006年5月15日 (月) 10:34 に投稿したものです。 そんな人には、部落問題を他者に向かって語る資格などありませんね。222.150.239.215 2006年6月20日 (火) 19:35 (UTC) 部落に対して議論するという事自体意味が無い。差別されるには理由がある。部落人種が○っている事が原因だ。その様な発言をするならばゴキブリが嫌われている事について議論する必要もある。—以上の署名の無いコメントは、221.245.243.210(会話/Whois)さんが 2006年6月24日 (土) 09:33 に投稿したものです。
履歴を見てみると私が削除した事になっていましたが、意図したものではありません。他の部分の改訂について編集の途中で試行錯誤している最中のものを、復元しないままうっかりそのまま送信してしまったようです。申し訳ありません。私見では、小説の題名という固有名詞でもあり、特に問題があるとは考えていません。
ここ15年くらいの間に徐々に明らかになってきた事ですが、「オールロマンス闘争」を、在野の運動団体が行政当局に迫り、要求を認めさせた、という風な構図でとらえるのは適切ではありません。当時の京都の解放委員会活動家は、戦中期に京都市社会課への勤務歴があった関係で市役所の職員とは太いパイプをもっており、(『オールロマンス』糾弾闘争の政治学)、解放委員会と、市役所内の一部部署に所属する職員との合作、むしろ市役所職員の主導による「闘争」だったのが実状です。確かに、通常の「闘争」と同じく解放委員会を「闘争」の主体と考えると、ご指摘のようなこともいえるかと思われますが、上記のような理由で、判断に迷うところです。また、現行の記述では、市役所職員の関与のもとにこの「闘争」が行われたという事実が反映されていませんが、では簡潔な表現でどう記載すべきか、良い知恵がなかなか浮かばないので、大幅な手直しはしないままとしました。 要出典についてソースが見つかったので、ここに貼ります。また、本文の要出典を消しておきます ・日本の裏社会にいるいわゆるやくざは8万~9万と警察は推定 ・しかし実際はそれ以上いると思われる ・やくざのうち、6割が同和、3割が在日(韓国系、朝鮮系が1/3) 菅沼光弘 元公安調査庁調査第二部長講演:[2]1:50、4:40あたり --122.18.111.36 2006年11月16日 (木) 19:04 (UTC) リンクは注釈としてぜひ本文の該当部分に貼ってください。やり方は、本文のソースを参照ください。<ref>を使用します。 プレスクラブ(2006年10月19日) 「日本を知るには裏社会を知る必要がある」菅沼光弘 元公安調査庁調査第二部長講演 (東京・外国特派員協会) 外国人記者対象のリンク先の元公安調査庁講演は色々な意味で面白いですね。以下内容抜粋
Hotmelt 2006年11月19日 (日) 06:17 (UTC) そうとはかぎらないとおもいました。 ウィキペディアさんがんばてください。応援します。 暴力支配容認記述こそ「偏向」で「中立」ではない学校外の運動団体である部落解放同盟が、その傘下の解放研を学校内につくる権限はなく、従前の解放研とは別個にそれを公認するかどうかは学校側の権限に属することで、学校の指導に従わないことが明確である以上、公認拒否の結論は妥当なもの。 仮にその判断の可否を置いても、監禁と集団暴力で言い分を認めさせる行為に何ら正当性はなく、その暴挙と、正当な言論とを平等の位置に置いて解説するのは、明らかに暴力集団側に偏向した記述である。それを訂正することこそ「中立的記述」であり、偏向に見えるというのは当人の立場が暴力容認側に偏っているためだ。資料引用も集団暴力容認側のもののみを採り上げて、八鹿町の行政まで動員して集団暴行に備えて保健婦まで配して周到に準備し、長時間のリンチを加えたことを、あべこべに共産党の攻撃と描くことは絶対に中立ではなく、極端な偏向そのものだ。 現に刑事裁判は全員有罪で決着。大町民大会も高校生達や党派を超えた町民の結集で成功し、長きにわたる解放同盟側の暴力的介入をやめさせたことは、その前の節に指摘している通りだ。 教育の場で、外部団体が学校の方針とは異なる特異な行動を好き勝手にやる、暴力で強制する体制など認められる訳がないだろう。威圧、暴力否定!そこが中立的位置だ。 自分の偏向に気付かず、他を偏向呼ばわりして復旧し編集制限tagを立てるなど、暴力支配側の宣伝マンにすぎない。 少し頭を冷やしたらどうだ。 「従前の解放研」とは一体何のことですか?「長きにわたる解放同盟側の暴力的介入」とは具体的に何年くらい? あなたの方こそ、間違った事実関係を記述しないよう、頭を冷やしたらどうでしょうか。Hkato 2007年2月13日 (火) 07:20 (UTC) 教師48名への暴行傷害に正当性なし教師「48名が危篤を含め2ヶ月から1週間のけがを負った」一方的な集団暴行事件が有罪とはいえ全員「執行猶予」で済むなど希有なことで、30年を経た今でも解放同盟暴力支配擁護がこの記事のようにはびこり、未だに各地で公共の建物の占拠が続いていて、解放同盟支配下の地方に司法も充分には及ばなかった事実を端的に示すものとなっている。 1校に48名もの「共産党員教師」が居るとする解放同盟側主張は荒唐無稽の極みでもある。これこそ偏向そのものだ。 関東では八鹿高校事件までは局地的なものを除き未解放部落差別は意識されない地域が圧倒的で、各集落名自体が「○○部落」と名付けられていたし、中学校運動会で最高潮がそれらの「部落対抗リレー」だったりした。これは映画橋のない川での消防ポンプの部落対抗競技の場面同様で「部落」自体に未解放部落を指したり、まして差別的意味はなかった。 それが国会質問TV中継で八鹿高校事件を知り、ほんの僅かな毎日新聞報道しかない異常事態に驚き、特に人事・労務関係者は詳細情報を求めて常々は激しく対立する組合役員などを通じて八鹿事件赤旗号外を入手。自社の全国からの採用状況を調べてみて未解放部落出身者も全く差別なく採用していたことを認識安堵。社員に対する扱いも全く変えなかった。(知らない概念で差別出来ない。知らないのが差別だとかの難癖でリンチをやられては敵わない。その屁理屈では幼子から世界中が「差別者」としてリンチの対象だ)。 だが暴力的で理不尽な解放同盟組織には非常に注意を払うようになった。人材の欲しい時代だったからどの社も採用除外に到らなかった様だが、そのような面倒に関わりたくないと最初から解放同盟の強い地域の求人活動を停めてしまうと全く問題にならないから、八鹿高校集団暴行事件は実質の差別再生産に繋がる暴挙だった。直接採用活動に行かないと採用できなかった時代だった。 こうして全国的問題になってしまうと、教師「48名が危篤を含め2ヶ月から1週間のけがを負った」一方的な集団暴行事件をいくら何でも「無罪」として納める訳にはいかない。国会質問と全国宣伝がかろうじて不当な無罪判決を阻止して「有罪」判決を繋ぎ止めたということだろう。一方的暴力「有罪」が意義ある到達点。だが量刑公正の見地ではあまりに軽すぎる。 一方、関西以西の未解放部落出身者差別の実態も初めて知られるようになり、地域や商売との関係などで親も表むきには勘当扱いせざるを得ないとか、結婚式が出来ない事情なども理解されて、当人たちを中心に盛大に祝う会を組織するなど旧弊を乗り越える後押しも試みられた。また関東にも地域により差別が存在することも一般に理解された。一旦染みついた差別意識はなかなか消えないが暴力と威圧はそれを固めるだけだろう。
犯罪容認VS否定の「中間的立場=中立」はない拉致監禁、集団暴行、傷害を意見・言論の相違と同列に扱った「中立」というのは有り得ず、それこそ「犯罪支配擁護への偏向」記述である。これを無法な暴力否定の中立本来の立場で訂正したことを以てあべこべに「偏向」呼ばわりとは、………度し難い不見識というほかありません。解同利権犯罪は最近ようやく摘発される様になりましたが、当時から批判されていた具体的事実として解放同盟犯罪史のリンクを加えます。 繰り返しますが、「中立」とは、犯罪者と被害者双方の言い分を足して2で割ることではありません。それこそ犯罪側への「偏向」です。その誤った認識に基づく偏向非難を反省し暴力犯罪支持側に書き戻さないで下さい。 218.180.72.1 2007年2月12日 (月) 02:50 (UTC) 我々こそ正義なのだ。その主張に同調しないお前は敵陣営の者だ、とおっしゃっている訳ですか。共産党であれ解放同盟であれ、そのような発想をなさる方とはお付き合いしたくないですね。Hkato 2007年2月13日 (火) 07:34 (UTC)
無法な集団暴力は犯罪!暴力支持のHkato編集は正義に反するもの こんな簡単な民主主義の基本原理も分からず百科事典の編集をしないでもらいたい。 集団暴力と言論を同列に置いて暴力支配を免罪する人とは危なくて警戒心なしに普通にはつきあえません。 学校の公的機関である職員会議としての見解・決定を「共産党の決定」と歪曲しないこと。当時職員会議は最高決定機関でした。ここが決定についての主たる側面です。 解放同盟の襲撃体制で全教職員が下校中公道上で拉致され、体育館に連れ込まれて「糾弾会」と称する集団暴行を受け、後遺障害の残る瀕死の重傷を含む48名が負傷している。この体育館の暴行の現場に保健婦を配し、長時間の暴行を続けた。解放同盟に拉致監禁され暴力を受けた被害者は、当時の学校の最高決定機関たる職員会議に参加した一般教員だった。これを「共産党員」とすることで暴行傷害非難を和らげるというのは公正中立とは懸け離れている。 要求に従わなければ集団暴行という解放同盟の方針は明らかで、現にこの傷害事件となった。解放同盟から公認を求められた校長が職員会議に反して「職権で認めた」というのは、強盗にあって金品を出したのに等しい。これを根拠に「約束を守れ!嘘つき!」と更に強要、威圧を強めるのが常套手段だった。 最後の編集はあまりにも酷すぎだ。 貴方が革命的警戒心を持って当方に応答することはそちらの自由ですがいつ当方が「共産党の決定」云々と記述しました? あなたが校長が公認したことを不適切な対応だと評価するのは自由だが、違法行為でないことは明らか。 「当時職員会議は最高決定機関でした」というのも法的な根拠がない、不適切な表現。「八鹿高校では、事実上『職員会議は最高決定機関』として学校を運営する慣行があった」というなら、まだましな表現。Hkato 2007年2月16日 (金) 04:17 (UTC) hkato版を独立の八鹿高校事件に丸ごと独立させました解放同盟の暴行正当性を述べる主張そのままに分量を増やしては迷惑なので、とりあえず争いのある項が独立事象であることから、hkato氏付け加え文を含む全文をそのまま八鹿高校事件に移しました。 一方的な暴行襲撃が、なぜ双方の対立か?Hkato氏の記述がますます暴力擁護に偏り、「糾弾会」「糾弾行動」と称するリンチや、個人宅に向け投光器を設置して集団で取り囲み家族を含めて威圧し続け、八鹿高校体育館のように危険を察知して集団下校した教職員全員を公道上で拉致、体育館に監禁して長時間に亘る暴行傷害を加えたことを、共産党の方針が責任であるかの記述をすることは全く公正をかくものです。 原文にいくつか修正を試みましたが、痕跡さえ残らず削除されていますが、システム異常でしょうか?管理者特権での全文削除でしょうか?痕跡も残せないというのは、解放同盟の暴力正当化を見せたくないから?そんなデタラメな論議はないでしょう。 新しく独立させた解放同盟支部が暴力的「糾弾会」をテコに違法不当に地方自治体や学校の支配を強める中で、従わない個人団体に集中して根拠のない「差別者」のレッテルを貼り、身体的危害を加えて屈服を迫った事件が八鹿高校事件。総評全体が解放同盟の暴力支持で動いた事実はどこにもないはず。 犯罪・利権追求・暴力支配と、正当な言論を同列に扱うことは民主主義を標榜する限り有り得ないことは公正中立な方ならすぐ分かるはず。 常套的な組織的暴力に対抗して世論に訴え暴力支配を縛る動員と、武力制覇の拉致監禁、暴行傷害の動員とを同列にして「双方の対立」などと、普通の理性があれば書ける訳がないでしょう。 最近になってようやく解放同盟幹部の不正の数々が暴かれる様になりましたが、これらは暴力的糾弾会により力尽くで自治体に言い分を通し批判者を潰してきた一貫した方針でした。部落解放同盟項で実名のあるかとを口実に匿名化ではなく全文消去された犯罪史をみても、あれでは全解放同盟支部が犯罪集団かと見まごうばかりの酷さです。(実際、暴力支配否定の解放同盟支部もいくつかあり、八鹿高校事件後現地調査に入り集団暴力はあったという調査結果を公表しています。解放同盟全支部が暴力支配、利権漁り集団ではありません)。解放同盟犯罪史は、犯罪の正当性を主張している事件だけは実名のまま、それを除く項目は匿名にして復活させるべきでしょう。 218.180.72.1 2007年2月14日 (水) 12:07 (UTC)
それから、解放同盟を批判する際のご自身の筆致が典型的な糾弾口調になっていることくらいは御自覚された方がよいでしょう。 念のため、もう一度うかがいますが、「リンチにそなえ保健婦が」いたという貴方の主張が事実であるという根拠は見つかりましたでしょうか。Hkato 2007年2月16日 (金) 04:24 (UTC)
ここは自分独自の考えを披瀝し討論するためにある場所だと思いますが? 貴方にこそ頭を冷やしてから出直してきてもらいたいですね。 中立回復の工夫ではありますが、
管理者資格剥奪に値する暴挙の反省を
(ノート:八鹿高校事件#へコピーしリンク) 偏向した視点と、根拠のない推測、意見が違う人の意見を歪曲した形で紹介し論難するなど、相変わらずの内容ですね。共産党系のプロパガンダ文書でよく見かける表現を相対化することなくご自身の立場として,地の文で記述していることから見ても、貴方は、「中立的な視点」とはほど遠い感覚を持っておられる方のように見受けられます。 最終的には、管理者様を含め、他のウィキペディア利用者の皆様に,私とIPユーザー氏のいずれの方がましなのか、どちらも不適当なのか、御判断をお願いするよりないことだと思います。これまでのところ、私は管理者様の取られた方策に異議はありません。Hkato 2007年2月16日 (金) 14:14 (UTC) 上方の部落京都大阪の都市部付近のエタ村は、伝統産業や文化の中で重要な地位を持ち、彼らが犯罪者に走るという話は聞いたことがない。犯罪者に走るのはむしろ、貧農の地方出身と相場が決まっている。—以上の署名の無いコメントは、202.8.52.205(会話/whois)さんが[2007年10月30日 (火) 03:32 (UTC)]に投稿したものです。 「部落」という呼称
香川県西部では確かに部落は集落の意味で認識されているようです.Sakurada 2007年11月13日 (火) 11:34 (UTC)
小林 茂 ・他『部落史用語辞典』柏書房一九八五(昭六〇)年八月。には
と述べられています。「特殊部落」の語がこの部分では視野に入っていないのが不可思議ですが。--Memosa 2007年11月14日 (水) 04:34 (UTC)
麻生太郎の部落差別発言
→「野中広務 § 麻生太郎による部落差別発言」を参照 --みはいる 2007年12月30日 (日) 16:29 (UTC)
Peace系の荒らし行為そもそも荒らしに返事をする義務はないのですが、こちらの編集は
で、編集内容を見れば分かることです。johncapistrano 2008年6月6日 (金) 01:32 (UTC) 「逆差別」文言の除去などの荒らし主たる目的が荒らしのレッテルを利用して「逆差別」の文言を除去することと露骨に伺われます。Handmade 2008年6月8日 (日) 04:04 (UTC) 「同和利権の問題は同和問題ではない」とわけのわからないことをいう人(利用者Hhato)がいますが、言葉上から考えても否定するのはおかしいでしょう。探せばたくさん出ているはずですから調べもせずに感情的な行動しないでもらいたい。例[[3]]--以上の署名のないコメントは、jinron(会話・投稿記録)さんが 2008年6月8日 (日) 12:36 (UTC) に投稿したものです。
「同和利権」はどう考えても、部落問題(の定義に関わること)ではありませんよ。部落問題解決のために実施されてきた同和対策事業の過程で発生してきた問題ではあるでしょうが。Jinronさんがそれを含めて部落問題とおっしゃるならば、それが独自研究でないことを証明するためにも、そのように定義づけている各種事典類をご紹介ください。 --Hkato 2008年6月8日 (日) 17:29 (UTC) 本来の部落問題(同和問題)の定義として「同和利権」「逆差別」は含まれません。削除する側の説明不足から議論がおかしな方向へ拡散しているように見受けられます。そのリンク先を出典とした場合、客観的に「~は部落問題(同和問題)を本来の意味合いに加えて「同和利権」や「逆差別」の問題も含めて論じている」でしょうか。ただ他にそうした用例が無いようでしたら「関連項目」に留めておく程度で十分でしょう。Handmade 2008年6月8日 (日) 18:00 (UTC) 部落という言葉東日本では現在でも、「集落」という意味で使われるという記述がありますが、西日本でも普通に使われています。私は、1年前に関東から岡山に引っ越してきましたが、こちらでは当たり前に「どこどこの部落(集落という意味)」という言葉が聞かれます。--Aerobat 2009年5月15日 (金) 06:50 (UTC)aerobat 「同和事業に関わる不正・腐敗」にある立花町連続差別ハガキ事件について同じ事件を二回も書く必要はないんじゃないですか?仮にそれぞれが別の事件だとしたら、同じ事件に見える書き方には問題があると思いますね。
--119.171.3.121 2012年6月22日 (金) 11:49 (UTC) 2012年10月29日の差し戻しまず、出典の完全無提示による批判文掲載は不可。加えて、2つの抗議主体を混ぜた書き方は、曖昧な表現にあたり、不適。六角形うんぬんは独自研究で掲載不可。--Los688(会話) 2012年10月28日 (日) 16:19 (UTC)
管理者による暴走と荒らしへの加担について一部の当事者団体による呼びかけの影響か、ウィキペディアに対してこのような荒らしが繰り返されていますが、残念なことに荒らしに加担する管理者もおられます。これはWikipedia:腕ずくで解決しようとしないに抵触する所業であり、やることが乱暴すぎます。「巻き込まれて削除されたところとかはWikipedia:中立的な観点に則りつつ見直してください」と無責任に丸投げするのではなく、個別具体的に問題提起した上で合意形成を図るのが常道と考えます。--序ノ口(会話) 2020年4月12日 (日) 12:41 (UTC) |