高架橋
パリメトロ2号線 (パリメトロ2ごうせん、Ligne 2 du métro de Paris)は、パリ交通公団 が運営するフランス ・パリ のメトロ 路線の一つ。パリ市西部のポルト・ドーフィヌ駅 と東部のナシオン駅 を結ぶ。ほぼフェルミエー・ジェネローの城壁 跡に沿ってパリの北半分を回る半環状路線 である。
概要
1860年までフェルミエー・ジェネローの城壁 がパリの外側を画していた。2号線は概ねこの壁北半分の跡に沿って走る。
2号線は1900年 に開業し、1903年 に現在の全線が開通した。なお開業時点では2号線は現6号線 の一部を含む名称であり、現2号線部分は2号北線(ligne 2 nord)と呼ばれていた。2号南線の方が先に開業していたため、2号線はパリで3番目に古いメトロ路線と言える。ただし全線開通は南線より早く、また先に開通した1号線 は後に郊外へ延伸されたため、現在の全線が開通したのは2号線がもっとも古い。
2号線の大部分は地下を走っているが、バルベス=ロシュシュアール駅 西方からコロネル・ファビアン駅 北方までの2kmは道路の中央部に設けられた高架線となっている。2号線はこの区間でパリ北駅 とパリ東駅 からのフランス国鉄 線、さらにサン・マルタン運河 と交差するが、建設当時の技術(開削工法 )ではこれらの下を潜るトンネルを掘るのは難しかったためである。なおサン・ラザール駅 からの国鉄線と交差する部分では、この部分の国鉄線が掘割 状になっていることを利用し、2号線は道路の地下だが国鉄線よりは上を通っている。
パリメトロ2号線の路線図
歴史
1898年 のメトロ整備計画では、2号線(B線)はフェルミエー・ジェネローの城壁跡に沿ってパリを一周する環状路線とされていた。またポルト・ドーフィヌ駅 - エトワール駅(現シャルル・ド・ゴール=エトワール駅 )間は1号線(A線)の一部とされていた。その後1号線がポルト・マイヨー駅 方面に変更されたことにともない、ポルト・ドーフィヌ - エトワール間を2号線に編入し、環状運転は行わずに北線と南線に分けられることになった。
建設は西側から進められ、1903年に2号北線の全線が開通した。
1903年 8月10日 には電気回路の短絡 が原因で列車火災が発生し、84人が死亡する惨事となった。詳細はパリメトロ火災 を参照。
1907年 10月14日 に正式に南線と分離され、2号線となった。
車両
1979年 以降はMF 67が使われている。5両編成で1、3、5両目が電動車である。全長は約90m。各車両ごとに片側4つのドアがある。非常時を除き車両間の往来はできない。
2007年 から新型のMF 2000が試験的に運行されている。将来は完全にMF 67を置き換える予定である。
車両基地はナシオン駅から東へ進んだプティト・サンチュール 沿いのシャロンヌ(Charonne)にある。元は1号線と共用の車両基地だったが、1934年 に1号線がシャトー・ド・ヴァンセンヌまで延伸されてフォンテネーに車両基地を移したため、2号線専用になった。大規模な検査や改修作業は7号線 のショワシー(Choisy)車両基地で行われる。
駅一覧
モンソー駅 入口
モンソー駅 (Monceau)
ヴィリエ駅 (Villiers)
接続路線 : メトロ3号線
駅名は駅名はかつて存在した集落名から。
ローム駅 (Rome)
フランス国鉄線との交差部に位置する。駅名は国鉄線の西に並行するローム(ローマ )通り(rue de Rome)から。
プラス・ド・クリシー駅 (Place de Clichy)
ブランシュ駅 (Blanche)
ピガール駅 (Pigalle)
駅名は、彫刻家ジャン=バティスト・ピガールにちなむピガール広場にあることから。
接続路線 : 12号線
アンヴェール駅 (Anvers)
バルベス=ロシュシュアール駅 地上部分
ナシオン駅 ホーム
ナシオン駅 (Nation)
接続路線 : メトロ1 、6 、9号線 、RER A線
線路はナシオン広場 の地下を一周するループ線状になっており、その途中に島式ホーム1面2線がある。ループ線は一方通行だが線路は2本あり、片方は留置線として用いられる。また駅の東側にも4本の留置線があり、その先はシャロンヌ車両基地へ続いている。
参考文献
関連項目
外部リンク