フランツ・デ・パウラ・ヨアヒム・ヨーゼフ・フォン・ウント・ツー・リヒテンシュタイン(Franz de Paula Joachim Joseph von und zu Liechtenstein, 1802年2月25日 - 1887年3月31日)は、ドイツのリヒテンシュタイン家の公子。リヒテンシュタイン公ヨハン1世ヨーゼフとその妻のフュルステンベルク=ヴァイトラ伯爵夫人ヨーゼファの間の次男。アロイス2世の弟。
1841年6月3日にウィーンにおいて、ガリツィアの大領主アルフレト・ヴォイチェフ・ポトツキ伯爵の娘ユリア・ポトツカ伯爵夫人(1818年 - 1895年)と結婚した。ユリアはオーストリア(ツィスライタニア)首相を務めたアルフレト・ユゼフ・ポトツキ伯爵の妹である。ユリアとの間には4人の子女をもうけた。
子女
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