プログレスM-7
プログレスM-7はソビエト連邦が1991年にミール宇宙ステーションの補給のために打ち上げたプログレス補給船[2]。ミールに訪れた64機のプログレスのうち25機目であり、プログレス-M前期型で[3]、シリアル番号は208番であった[4]。 搭載貨物ミールE0-8のクルー用の食料、水、酸素などを積んでおり、科学研究用の物品類、軌道補正マニューバ用燃料などが積まれていた。また、ミールから物品を地上に持ち帰るためのVBKラドゥガを積んでいた。 運用プログレスM-7は1991年3月19日13時5分15秒にバイコヌール宇宙基地1/5発射台からソユーズ-U2で打ち上げられた[4]。プログレスM-7はミールとのドッキングを3回試みており、最初のドッキング試行は3月21日14時28分(GMT)に行われ、結果としてドッキング試行中止までにミールの500mの範囲に接近した。2回目の試行は3月23日に行われ、ミールから50mの位置で近接は中止されたが、保持位置に移動する前の問題が調査されている間に5mの位置を通過した[5]。最初の2回の試行はクバント1モジュールの後方ドッキングポートを使っており、3回目はミールコアモジュールの前方ポートを利用することが決められた。3月26日10時12分0秒(GMT)にコアモジュールの前方ポートに接続されていたソユーズTM-11がドッキングを解除され、先立ってステーションの周りを飛び、10時58分59秒にクバント1にドッキングした[6]。その後M-7はコアモジュール前方ポートに3月28日12時2分28秒(GMT)にドッキングした[7][6]。 M-7がドッキングしている39日の間、ミールは365kmから388kmの高度を、51.6度の軌道傾斜角で周回していた[1]。M-7は同年5月6日22時59分36秒(GMT)にドッキングを解除し、翌日の16時24分0秒に軌道を離脱し、太平洋上で大気圏に再突入し破壊された[1][6]。 ラドゥガカプセルは軌道離脱噴射前に展開され、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に17時20分(GMT)に降下したが、回収の努力は成功しなかった[6]。 脚注
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