ポール・ポッツ
ポール・ポッツ(Paul Potts、1970年10月13日 - )はイギリスのテノール歌手。 経歴イングランド西部の港湾都市ブリストル出身。10歳から地元の教会で聖歌隊として歌い始める。生い立ちが恵まれず、幼少期は周囲からいじめられ続けていたが、「歌っている時だけは唯一、自分に自信が持てた」と後のインタビューで語っている。 1986年、三大テノールの一人であるオペラ歌手のホセ・カレーラスの声と出会う。彼の美しい歌声に魅了され、「いつか彼のようになり満員のオペラハウスで歌いたい」という夢を抱いた。しかし、容姿に強いコンプレックスを持っていたポッツは自信が持てず、その夢を一時断念する。 セントマーク&セントジョン大学では人文学を専攻し、1993年に優等学位を得て卒業した。大学卒業後はスーパーマーケットに就職。この間に自由民主党のブリストル市議員(1996年 - 2003年)も務めた(ただし、イギリスの地方部の市議会議員は無給である)。プロの道は断念したものの、その後も地元のアマチュアのオペラ劇団でオペラを学び、ボイストレーニングを続けていた。 1999年、英国ITVの番組『Barrymore's My Kind of Music』に出場し、賞金8000ポンドを獲得。その賞金を充ててイタリアに留学し[1]、オペラを学んだ。 1999年から2003年にかけて、彼はアマチュアのオペラ劇団(バースにあるバース・オペラ )やアマチュアのオペラ・プロダクション(ロンドンを拠点にするSouthgate Opera Company)に参加し、オペラ活動を続けた。 2001年2月、インターネットのチャットルームでジュリー=アンという女性と知り合い、2年間の交際を経て結婚。結婚式では彼女に『カヴァティーナ』(映画『ディア・ハンター』の主題曲)の歌唱を捧げた[1]。 2003年、急性盲腸炎の手術を受けたところ、副腎に悪性の腫瘍があることが判明[1]。腫瘍の切除手術を受けることになるが、医師の強い反対を押し切りオペラを歌い続けていた。 さらに退院後には、自転車で職場へ向かう途中に交通事故に遭い鎖骨を骨折。むち打ち症にも悩まされた。一命は取り留めたものの、長期の入院生活を余儀なくされ仕事を失う。さらに、退院すると莫大な治療費の請求が来たため、家族にこれ以上の負担はかけられないと歌のレッスンを辞め、所属していたアマチュアのオペラ劇団も退団した。 その後、生活のためにヨーロッパ有数の携帯電話の販売店であるCarphone Warehouseのセールスマンとなる。 歌からは長らく遠ざかっていたが、2007年に妻の後押しもあり、この年から放映が開始されたオーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』へ出場を決意。これで駄目なら歌は完全に諦める覚悟で臨んだという。 ブリテンズ・ゴット・タレント2007年1月にオーディション、同年6月に準決勝および決勝のTV放映が行われた。オーディションで「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を歌って審査員から絶賛を受け、早い段階から番組の優勝候補だった。最終的には下馬評通り優勝を果たし、同番組の辛口審査員として知られるサイモン・コーウェルに認められ、念願のオペラ歌手としてのデビューを果たす。この時、後に歌手デビューを果たすコニー・タルボット(当時6歳)も決勝へ進出しており、コニーを破っての優勝であった。 彼の運命を変えるきっかけとなった番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」の模様は、YouTubeを通じて広く配信され、話題を呼んだ。その後、サッカー開会式での国歌斉唱など様々な場面でその歌唱を披露している。 デビュー&ツアー念願のレコード・デビューのチャンスをつかみ、デビュー作となるアルバム「ワン・チャンス」(BMG JAPAN)をリリース。本作は、2007年7月23日付で全英初登場1位、3週間連続で1位を記録し、全世界で300万枚以上ものセールスを達成した。携帯電話販売会社に在職したまま長期休暇を取り、歌手としてツアー活動をしていたが、2008年3月に正式に退職した。 イギリスの首相ゴードン・ブラウンから官邸に招待されたり、エリザベス2世から直々に賞賛の辞を受けたりするなど数々の栄誉を得た。その模様は彼のドキュメンタリー番組で放映された[2]。 2008年1月に全英ツアー、3月に北米ツアー、そして4月のニュージーランド/オーストラリア公演のあと、2008年4月29日には世界ツアーで来日しコンサートを開き、二日間の公演は満席となった。 メディア初回2007年6月9日、セミファイナル6月14日、 最終6月17日の『ブリテンズ・ゴット・タレント』の放映後、各メディアから注目を集める。 彼がジュリー=アンと出会い、結婚するまでのエピソードは『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビで2008年6月5日に放送)や、『誰も知らない泣ける歌』(日本テレビで2009年1月13日に放送)といった日本のテレビ番組でも放送された。2008年秋に放送された龍角散のCMは、「誰も寝てはならぬ」を歌う彼と、その経歴に関する字幕が映し出されるものになっている。 2009年には、ドラマ『善徳女王』の挿入歌「Passo Dopo Passo」を歌った。 彼の半生は再び『アンビリバボー』年末生放送特番(フジテレビで2009年12月31日放送)で紹介され、スタジオにて「メモリー」(キャッツの楽曲)をイタリア語で、さらに合唱隊をバックに「第九」を披露する。 その後パラマウント・ピクチャーズの元でポッツの半生を描いた映画の制作が決まったが、2010年4月、映画化が中止となったことが明らかとなった[3]。さらに同年8月、サイモン・コーウェルのレコードレーベル「Syco」から契約解除されたと報じられた[4][5]。 2012年6月、ワインスタイン・カンパニーの企画で進行中のポッツの伝記映画について、ジェームズ・コーデン主演で正式に公開が決まったことが明らかになった[6]。同作は、日本では『ワン チャンス』というタイトルで2014年3月21日に公開された。 アルバムワン・チャンス(2007年11月21日)CD1
CD2 パッシオーネ〜燃ゆる想い(2009年6月3日)
ニュー・シネマ・パラダイス〜ベスト・ムービー・ソングス(2010年9月22日)
誰も寝てはならぬ〜グレイテスト・ヒッツ(2014年3月5日)
出演テレビ
テレビCM
式典
脚注
関連項目外部リンク
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