マザー・イン・ロウ
マザー・イン・ロウ(Mother-In-Law)は、ニューオーリンズ出身のR&Bシンガー、アーニー・ケイドーの楽曲。1961年、ミニット・レコードよりシングル盤としてリリースされた。
概要1961年1月にシングル盤としてリリースとなり、同年ビルボードのポップス・チャート、R&Bチャート双方で1位を獲得した。 作詞・作曲は当時ケイドーのプロデューサーだったアラン・トゥーサン。彼は当時独身だったが、テレビでコメディアンが義理の母のジョークで受けているのを目にし、妻の母親に地獄の目にあわされる男をコミカルに描いたこの曲を書いた[5]。
トゥーサンは、この曲でプロデューサーを務め、ピアノも演奏した。低音ヴォーカルの「マザー・イン・ロウ」というコーラスを繰り返し、この曲を特徴づけているのは「Fortune Teller」、「Lipstick Traces (On A Cigarette)」で知られるベニー・スペルマンである[6]。スペルマンが目立っていたため、この曲の大ヒットは誰のおかげかという論争がケイドーとスペルマンの間で起きたという[5]。 レコーディング時、ケイドーは当初この曲を説教するように力をこめて歌った。その歌い方を気に入らなかったトゥーサンは時間の無駄であると感じ、曲が書かれた紙を丸めてゴミ箱に捨ててしまった。コーラスでレコーディングに参加していたウィリー・ハーパーはそれを拾い上げ、トゥーサンの意に沿って歌うようケイドーを説得したという[7]。 「Mother-In-Law」は当時、日本でもキングレコードより「ままはは」の邦題でシングル盤がリリースされた。後に「いじわるのママさん」との邦題で出しなおされている[8]。 シングル
参加ミュージシャン出典:[2]
主なカバー・バージョン大滝詠一は、1975年のアルバム『NIAGARA MOON』の中で「Mother-In-Law」を下敷きにした「楽しい夜更かし」を披露している[9]。作詞・作曲は大滝となっているものの、実質上カバーと言っていい内容である。
出典:[11] 脚注
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