マシーネンクリーガー『マシーネンクリーガー』(Maschinen Krieger ZbV3000:マシーネンクリーガー ゼットビーブイ さんぜん)は、SFイラストレーターの横山宏による雑誌の連載企画及び、その登場メカのプラモデル。『Ma.K.』と略記されることが多い。元々のシリーズ名は『S.F.3.D ORIGINAL』であったが後述する事情で、その名称を一時使えなくなったため、新たにマシーネンクリーガーの名称が与えられたものである。 概要核戦争の荒廃から復旧した29世紀の地球を舞台に、その覇権を争う地球独立政府傭兵軍とシュトラール共和国軍との戦いを描いている。 横山の製作したモデルに対して、『S.F.3.D』当時の担当編集者でのちに月刊模型雑誌『モデルグラフィックス』の制作会社であるアートボックス代表になる市村弘が細かい設定やストーリーを後付けする形で展開されている。さらに海外も含めた熱心なファンの活動により支えられている。 始まりは、模型雑誌『月刊ホビージャパン』1982年5月号の企画、「素晴らしき駄物キット」という単発記事の一部として製作された、『ニューミクロマン』のパワードスーツ的なアイテム『強化スーツ2』と『同3』の改造作例『S.F.3.D ORIGINAL』である。ポリパテとプラ板で修正されたスタイリングは元の玩具形状を活かしながらも正に人間が入っているかのような印象を与えた(実際内部にミクロマンを入れて可動可能にした)。A.F.S Mk.Iの頭部は元の『強化スーツ2』そのままである。右手のレーザー砲口にタミヤ1/20レーシングチームセット付属の一眼レフカメラを用いるなど、あちこちにスケールモデルのパーツを流用していた。また腰部の装甲はピンポン球からの切り出しである。なお片腕がレーザー銃である強化服のデザインコンセプトや戦場のビジュアルイメージ、後の連載に登場する無人兵器類は、この少し前、週刊ヤングマガジン1981年22号に掲載された大友克洋の漫画「武器よさらば」の明らかな影響が見られる(製作者側もこれを認めている)。 こうしたスクラッチの技法はホビージャパン誌上で反響を呼び、何回かの企画の後に同誌上で1982年5月から1985年12月まで、単発記事であった『S.F.3.D ORIGINAL』の題のまま連載された。これは架空未来戦記のフォトストーリー風に仕立てられており、原作は先述の通り担当編集者の市村弘(AFVモデラーの梅本弘として誌面に作例と記事も執筆していた)であった。ミリタリー調で展開されたストーリーで、それに合わせた横山のイラスト、作例が掲載され、1983年に「HOBBY JAPAN別冊 S.F.3.Dオリジナル」として別冊も発売されている。 その後日東科学(現 日東科学教材株式会社)からA.F.Sを皮切りにほとんどのアイテムが1/20スケールのインジェクションキットとして模型化された(大型戦車であるナッツロッカーのみ1/76)。原作者による徹底監修された精密なキットは、日本製キットにしては珍しいシュリンクパックが施されており、英語のみで文字組みされた茶色い紙のパッケージは輸入品のプラモデルのようで斬新だった。 「S.F.3.D」初期のエディトリアルデザインや模型制作にはデザイナーの今井邦孝が、撮影用プロップ製作には渡辺誠(現MAX渡辺)が参加している。また後期には小林誠や揚田幸夫(現あげたゆきお)もモデル製作に加わっている。「Ma.K.」復活後は、かつて「S.F.3.D」に影響を受けた多くの若手モデラーが参加して横山の指示監修の元にモデルを製作するケースが多い。 S.F.3.Dからマシーネンクリーガーへ1984年の秋にモデルグラフィックス誌が創刊されると、横山も新雑誌で『マシーネンクリーガー ブレッヒマン』という新連載を開始した。これはS.F.3.Dと非常に良く似た企画の人間が着る装甲服を主体とした架空戦記のフォトストーリーであった。モデルグラフィックス誌は前述の市村が企画した模型雑誌であり、市村はS.F.3.Dの原作者でもあったが、著作権者に名を連ねるホビージャパン誌が「S.F.3.D ORIGINAL」の版権を持っていたために企画まるごとの移行は出来なかった。1985年にホビージャパン誌の連載は終了したが、時期を同じくして日東科学が自主廃業を行ない、プラモデルも市場から姿を消した。ほぼ同じ時期にブレッヒマンの連載も終了している。 復活と改題、「S.F.3.D」の名前の復活1994年に日東科学が日東科学教材株式会社として再建され、1998年からS.F.3.Dシリーズの再発売を試みるが、その際にホビージャパン側が許諾しなかったためにMaschinen Krieger ZbV3000と改題され再び商品化がなされる。ただし人気アイテムの一つであったノイスポッター、及びその派生機であるクラッヘンフォーゲルは、金型の一部を紛失したため再発売出来なかった。その後モデルグラフィックス誌において連載が再開するが、月刊単位の連載では無くなっている。対して許諾問題から横山とホビージャパンは版権の帰属を裁判で争うこととなるが、1999年に和解。更に2010年にはかつての連載時に協力者の一人だったMAX渡辺とのコラボという形で、ホビージャパン本誌に「Ma.K. in S.F.3.D」として連載が復活した。 現在でも多くのファンを持ち、ワンダーフェスティバルなどの模型イベントでも人気アイテムである。2006年12月末には「AFSSA E3C/E3CB ルナポーン」(装甲戦闘服A.F.Sの月面用派生機)が完全新規金型の1/20スケールプラスチックキットとして株式会社WAVEより発売された。2008年の静岡ホビーショーでハセガワが、年内発売を目標に反重力装甲戦闘機ファルケでの参入を表明し、2009年3月に発売された。また、日東のシリーズは2009年以降、同社の金型を譲り受けた横山自らの3Q MODELというレーベルで発売されている。 履歴
基本設定29世紀、超光速航法を開発した人類は銀河系に進出して多くの惑星国家を築いていた。しかし母なる星・地球は第4次世界大戦で死の星となり、再び人類がその土を踏むまでには長い時間を要した。 再植民の始まった地球だったが治安は悪化の一途を辿り、その対策として屈指の軍事国家であるシュトラール共和国が統治権の委譲を受けて治安維持軍を派遣する。しかし彼らの管理主義政策は住民との間に軋轢を生み、更に戦争の臭いを嗅ぎ付けた傭兵達が銀河系中から集まってきた。2882年、傭兵軍を後ろ盾とする地球連邦政府が独立を宣言、これを事前に察知していたシュトラール共和国は直ちに傀儡政権を樹立し軍の精鋭部隊を派遣する。 シュトラール軍の物量の前に早期に終結すると思われていた戦局は思いも寄らない事態を迎える。傭兵軍が開発した新兵器「A.F.S(装甲戦闘スーツ)」の出現である。兵士一人一人に装甲車並みの装甲と火力を与えるこの兵器によるゲリラ戦術はシュトラール軍の兵法概念を超える物であった。地球は両軍の新兵器の開発合戦の場と化し、戦況は一進一退の膠着状態へと陥ってしまう。更に傭兵軍が宇宙戦用の装甲戦闘スーツを実戦投入したことで、戦場は月面や衛星軌道上にまで拡大していく。 戦争の予想外の長期化によって多大な人的損害を蒙ったシュトラール軍は、対策として高度なAI(人工知能)を搭載した無人兵器の開発・投入を進め、遂には完全にAIにより統制される無人軍団も出現する。しかしその結果、月面に人類と相容れない異質の戦闘生命体「プルート」を生み出すことになってしまう。外宇宙への活路を絶たれた両軍は停戦に合意し、人類と機械生命体との新たな戦いが始まろうとしていた。 主要登場人物
登場兵器→詳細は「マシーネンクリーガーの登場兵器」を参照
その他Ma.K.関連書籍
Ma.K.模型製品メーカー
「月刊シュトラール通信」「月刊シュトラール通信」(通称「シュト通」)は、モデルグラフィックス誌に毎号掲載されているMa.K.の情報記事ページである。内容はMa.K.関連図書や模型新製品の情報、WFや各種イベントの情報、横山の近況、読者投稿、妖刀定光のショートコミック「魔道戦記Ma.K.」など。 「S.F.3.D」と「Ma.K.」の相違点基本設定とストーリーにおいていくつかの違いが存在する。特に大きく異なるのが主人公コンラート・アムゼルの運命と機械生命体プルートの設定である。 「S.F.3.D」においては、アムゼルは宇宙用S.A.F.Sによるシュトラール軍偵察衛星破壊作戦「ピールバナナ」に参加して無事帰還、一躍英雄になっている。一方「Ma.K.」においては士官学校卒業後にいきなり懲罰大隊に配属されたり、憲兵隊により死刑判決を受けたり、星海国で部下もろとも見殺しにされかけたりと苦難続きである。 月面を支配する機械生命体プルートについては、「S.F.3.D」においては地球独立戦争以前から既に存在し、かつて人類が月に送り込んだ自動機械群が自らの意志を持ちプルートになったという設定であったのに対し、「Ma.K.」においてはシュトラール軍が戦争後期に配備した高度なAIを搭載した自動戦闘機械「ケーニッヒスクレーテ」の暴走がプルートを産み出したという設定に改められており、つまり開戦時にはプルートは存在していなかったことになる。 これらの設定変更を含めて、「Ma.K.」復活後のフォトストーリーは「S.F.3.D」時代に比べて殺伐とした雰囲気の物が多いが、これは現実の戦争の状況がある意味「Ma.K.」の設定に近くなっており(特にシュトラール軍の状況はアメリカのイラク駐留軍と酷似している)そうしたスタンスを取らざるを得ない部分があることが考えられる。またストーリー担当の市村がホビージャパン退社後「梅本弘」のペンネームで第二次大戦に関する著作・翻訳を多く手がけており、その過程で市村の戦争観が大きく変化したためでは無いかとも推測される。 アーティストモデルと「Ma.K.考古学」市販キットやファンの作品と区別するため、横山が製作したオリジナルのモデルは「アーティストモデル」と呼称されている。ただし最近はアーティストモデルであっても、横山のラフ設定をベースに他のモデラーが工作を行い、最終的な仕上げ・塗装を横山が行うという分業スタイルを取る場合が多い。また「S.F.3.D」初期は横山が自作原型をレジンキャストで複製したパーツでバリエーションを製作していたが、日東からプラモデルが発売されるとそれらをベースに製作されることが多くなった。他にもアマチュアディーラーが販売したガレージキットをベースにバリエーション機が製作されるケース(グラジエーター量産型、カングルー後期型など)、アーティストモデルが存在せずファンが独自に自作した作品が公式に採用されてしまうケース(Y-15など)も存在する。この様に公式と非公式との境界が曖昧なのも「Ma.K.」の特徴であり、横山自ら「他力本願寺」と呼び習わしている。 アーティストモデルの多くは、既存のプラモデルの部品を多数流用して製作されている。「S.F.3.D」連載初期はキットも存在せず、連載に登場した機体を手に入れるには自作のために同じ流用パーツを探し出さなければならなかった。キットが発売された後も極力アーティストモデルに近づけようとする努力が一部マニアによって続けられており、ましてやキット化されていないアイテムを自作しようとすると必然的に流用パーツを割り出す必要が生じてくる。出所を横山本人に確認を取ろうにも、使用前のキットから流用パーツを形状別に分類して整理しているために把握できていないことも多く、結局は各人の地道な研究に頼ることになる。これが「Ma.K.考古学」と呼ばれる所以である。 ファン活動「S.F.3.D」が連載終了後も10年以上にわたって命脈を保ち続け「Ma.K.」として復活を果たしたのも、国内外の熱心なファンの活動があったことが大きい。 Ma.K.のファン活動を語る上で外せないのは、年2回のアマチュアガレージキットの祭典である「ワンダーフェスティバル」(WF)の存在である。通常いわゆる版権物をWFで販売するには当日版権を獲得する必要があり、版権元の度重なる厳しいチェックをクリアすることが求められるが、現在「Ma.K.」はファン活動支援のために当日版権獲得のハードルをずっと低くした「ライセンスニューウェーブ」の対象となっており、所定の手続きにより無審査で販売が可能となっている(勿論これはホビージャパン誌との裁判で横山への版権帰属が確定している故の恩恵である)。WFには横山自身も毎回来場しており、閉幕後にはMa.K.関係者やファンが一堂に会して打ち上げを行うのが恒例となっている。 もう一つ重要な役割を果たしているのがインターネットである。横山自身のサイトをはじめ多くのファンサイトにおいて、月刊雑誌媒体では限界のある即時性の大きい情報(キットの販売情報やWFの出店告知など)の交換や模型作品の発表、ファン同士の交流などが活発に行われている。また最近では一部の熱心なファンが自主的に各地で「Ma.K.」作品の展示会を開催しているが(横山自身も2005年初頭に金沢21世紀美術館において自ら「Ma.K.」の作品展を行っている)、これらの連絡や告知もネットを中心に行われている。 ボードゲーム
コンピュータゲーム
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