メル・ブルックスメル・ブルックス(Mel Brooks, 1926年6月28日 - )は、アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、俳優、プロデューサーである。俳優としても監督としても「コメディ映画の重鎮」として名高い存在として知られた。 来歴ポーランド系ユダヤ人移民の父と、ロシア帝国(のちのウクライナ)キーウ出身のユダヤ人移民の母(旧姓:ブルックマン)の息子として、ニューヨーク市ブルックリン区に生まれる[1][2][3]。出生時の本名はメルヴィン・カミンスキー(Melvin Kaminsky)。2歳の時に父親が亡くなり、16歳でスタンダップ・コメディアンとして舞台を踏む。イースタン・ディストリクト高校を卒業後、心理学専攻の学生としてニューヨーク市立大学ブルックリン校で1年間を過ごした。その後、ヴァージニア・ミリタリー・インスティチュートの士官候補生になる。 軍務を終えてからは、シド・シーザー主演のテレビ番組などでコント作家として活動(番組の共同作家には、ニール・サイモンやウディ・アレンがいた)。1960年代には、カール・ライナーとコンビを組んで発表したコメディーレコード『2000 イヤー・オールド・マン(2000 Year Old Man)』や、原作・脚本を担当したテレビドラマシリーズ『それ行けスマート』で高い評価を得る。 1967年に『プロデューサーズ』で映画監督デビューし、第41回アカデミー賞(1969年)で脚本賞を受賞。以降、『ブレージングサドル』(1974年)、『ヤング・フランケンシュタイン』[4](1974年)、『メル・ブルックス/新サイコ』[5](1977年)、『スペースボール』[6](1987年)などの作品を脚本・監督し、ハリウッドのコメディ映画界、パロディ映画界を象徴する存在となった。 映画監督としてコメディやパロディ映画を専門とするが、「プロデューサー」としては『エレファント・マン』、『女優フランシス』、『ザ・フライ』などのシリアスな作品も手がけている。ただしシリアスな作品の製作は匿名(クレジットなし)で行っており、その理由は「自分の名前がクレジットされるとコメディと誤解されるから」とのこと。 2001年には自身の監督デビュー作『プロデューサーズ』を同名のミュージカルに仕立て、ブロードウェイで歴史的な大ヒットとなる(2007年4月22日閉幕)。2005年、さらにミュージカル版を映画化した『プロデューサーズ』がネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック主演で公開された。 アメリカ合衆国の文化や芸能に対する長年の貢献が称えられ、2009年、ケネディ・センター名誉賞を受賞。2010年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星となり、2012年にはデヴィッド・リンチとともにAFI名誉博士号を授与される。2013年にはAFI生涯功労賞を受賞し、2024年には第96回アカデミー名誉賞が授与された[7][8][9]。 作風
歴史的評価
私生活1951年にブロードウェイダンサーのフローレンス・バウムと結婚し3人の子供を儲けたが、1961年に離婚。1964年に女優のアン・バンクロフトと再婚した(2005年に死別)。 アン・バンクロフトとの間に生まれた息子のマックス・ブルックスは『WORLD WAR Z』などの著作で知られる小説家、脚本家である。 フィルモグラフィ映画
テレビシリーズ
ブロードウェイ・ミュージカル
著書
脚注
外部リンク
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