デヴォン州クリスト・セント・ジョージのラクソール男爵(英: Baron Wraxall, of Clyst St George in the County of Devon)は、連合王国貴族の爵位の1つである。1928年に保守党の政治家だったジョージ・ギブズ(英: George Gibbs)にラクソール男爵位が与えられて創設された。現在この爵位は、第4代男爵であるアントニー・ギブズ(英: Antony Gibbs)が保有している。現男爵は、父である第3代男爵ユースタス・ギブズ(英: Eustace Gibbs)の死に伴い、2017年に爵位を継承した。
イートン・カレッジを経てオックスフォード大学のクライスト・チャーチに進んだジョージは、アントニー・ギブズ少佐(英: Major Antony Gibbs)とジャネット・ルイーザ・メリヴェイル(英: Janet Louisa Merivale)の間に生まれた7人きょうだいで1番上の息子だった。母方の祖父はジョン・ルイス・メリヴェイル(英: John Louis Merivale)である。父方の祖父であるウィリアム・ギブズと、その父(ジョージの曾祖父)アントニー・ギブズは、貿易会社アントニー・ギブズ&サンズ(英語版)の共同設立者、貿易商、銀行家であった。
ジョージは2度結婚している。最初の妻はヴィクトリア・フローレンス・デ・バーグ・ロング(英: Victoria Florence de Burgh Long)で、ウォルター・ロング (初代ロング子爵)(英語版)の娘だった。2人の間には、娘1人と息子2人が生まれたが、2人の息子はいずれも夭逝した。ヴィクトリアは2人の娘であるドリーン・アルビニア (Doreen Albinia) が6歳の1920年に病死し、ジョージは8年後に2度目の結婚をしている[1]。2番目の妻はアーシュラ・メアリー・ロウリー(英: Hon. Ursula Mary Lawley)で、彼女は後の第6代ウェンロック伯爵・アーサー・ロウリー(英語版)の娘だった。2人の間には息子が2人産まれ、それぞれ第2代・第3代ラクソール男爵となっている。
1988年には邸宅のティンツフィールドで誘拐に遭い、自身の保有するBMWのトランクに7時間余り閉じ込められた[1]。『タイムズ』紙によると、リチャード自身は「やれやれ、思っていたよりもトランクには空間があったよ」("Good grief, there's more room in the back than I ever thought") と漏らしたという[要出典]。誘拐犯たちはリチャードと庭園で出くわし、1人が彼の頭を板で殴りつけ、全員で彼の金庫と家の鍵を求めた。しかし防犯アラームが作動して誘拐犯たちはパニックに陥り、リチャードを車のトランクに入れて2マイル (3.2 km)ほど離れた森林に車を乗り捨てたという。その後誘拐犯たちはリチャードの財布とクレジットカードを盗んでいった。