ラ・テュルビー (La Turbie)は、フランス、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏、アルプ=マリティーム県のコミューン。
地理
ラ・テュルビーは、ジェノヴァからニースのシミーズ地区に向けて伸びるユリア・アウグスタ街道(en)の最高地点にある。モナコの上部450m、テト・ド・シアン(fr)にある。モナコ国境と接する。
テト・ド・シアンからの眺めはイタリア沿岸のボルディゲーラからエストレル山地に及ぶ。
歴史
紀元前1世紀までにアルプスはローマによって平定されていた。紀元前25年から紀元前13年までにアウグストゥス帝はアルプスの民をローマの権威に従わせていた。アルプスに平和をもたらしたアウグストゥスをたたえ、トロパエム・アルピウム(en)が紀元前6年に建てられた。ローマ街道を行く商人を襲っていた、山地に暮らすリグリアの各部族に対する勝利の塔は、そこがローマとガリアの境であることを示していた[1] · [2]。一帯はローマの軍事上の県が置かれ、ローマ皇帝の直轄地になった。イタリアとスペインとを結ぶユリア・アウグスタ街道は経済・軍事上重要な道だった。
1191年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世はコンダミーヌ地区の数エーカーおよびラ・テュルビーに属した岩山の主権をジェノヴァ共和国に授けた。この地が現在のモナコである。1215年6月10日、フルク・デ・カステッロ率いるギベリンは離脱し、モナコの岩山の上に要塞建設を開始した。この日付はモナコ大公国の近代史の始まりを示す。
ラ・テュルビーは、かつてボーソレイユとカップ=ダイユも含む1つのコミューンだったが、20世紀初頭に3つのコミューンに分離した。
人口統計
1962年
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1968年
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1975年
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1982年
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1990年
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1999年
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2006年
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1522
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1761
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1826
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1969
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2609
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3021
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3155[3]
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史跡
- アウグストゥスのトロパエウム・アルピウム
- サン・ミシェル教会 - 18世紀のバロック様式教会
姉妹都市
脚注