リトアニアの政党一覧(リトアニアのせいとういちらん)では、リトアニアに存在する政党を挙げる。リトアニアは複数政党制をとっており、多くの政党が存在している。一つの政党で政権を担うのは難しく、そのため政権を得るためには連立政権を組むためにほかの政党との協議を余儀なくされる。現在40(以上)の政党が登録されている[1]。
議会に議席を持つ政党
議会に議席を持たない政党
かつてあった政党
歴史上の政党
リトアニア人政党としては、帝政ロシア時代の1896年にリトアニア社会民主党(リトアニア語: Lietuvos socialdemokratų partija)が結党されている[2]。次いで1902年にリトアニア人民主党(Lietuvių demokratų partija)が設立された。1905年にはヨナス・バサナヴィチュス(リトアニア語版)ら民主党員の一部が民族民主党(リトアニア語: Tautiškoji demokratų partija)を結党し、同年、民主党の別の一派がリトアニア農民連合(Lietuvos valstiečių sąjunga)を結党した。さらに1917年には民主党に所属していた党員がリトアニア社会主義人民連合(Lietuvos socialistų liaudininkų sąjunga)を結党した。ロシア革命により社会主義人民連合は分裂し、左派はボリシェヴィキに加わるか、あるいはリトアニアに戻り社会民主党に加わり、右派は新たにリトアニア社会主義人民民主党(Lietuvos socialistų liaudininkų demokratų partija)を結党した。なお、リトアニア社会主義人民民主党は後にリトアニア農民連合と合併し、リトアニア農民人民連合となる。
リトアニア人とは別に、ユダヤ人が1897年にヴィルニュスでリトアニア、ポーランド、ロシア・ユダヤ人労働総同盟(通称: ブンド)を設立した[2]。また、クライペダ(メーメル)地方では、1933年に親ナチ・ドイツ人政党のメーメル地方キリスト教社会主義労働者連合(英語版) (CSA) が結党された。その後、同じく親ナチ・ドイツ人政党のメーメル地方社会主義民族連合 (SOVOG) も結党された。
独立後の議会制民主主義期(1918年 - 1926年)においては、リトアニア・キリスト教民主党、リトアニア農民人民連合、リトアニア社会民主党の三大政党が存在していた[3]。そのほかにも様々な小政党が作られた。
1926年、リトアニア人民族主義連合がクーデターを起こし、リトアニアは権威主義体制に移行した[4]。
1940年、リトアニアがソ連に編入されると、リトアニア共産党を除いてすべての政党が違法化された。
脚注
参考文献