リンカーン法曹院 (The Honourable Society of Lincoln's Inn) は、ロンドン中心部のカムデン区ホルボーンにある法曹院である。法曹院はロンドンに4つあり、リンカーン法曹院はその1つである。法曹院は法廷弁護士の養成・認定に関する独占的な権限を持ち、イングランドとウェールズのすべての法廷弁護士および裁判官は4つの法曹院のいずれかに所属することが法律によって義務づけられている[1]。
リンカーン法曹院は遅くとも1442年から現在の場所と同じ場所にある。1442年の時点ではチチェスター司祭 (Bishop of Chichester)から土地を借りていたが、その後、1580年に自由保有権を取得している。またリンカーン法曹院という名称は第三代リンカーン公爵のHenry de Lacy (1249 – 1311)に由来すると考えられている。彼の大邸宅がホルボーンの少し東にあり、彼の名前が法曹院の支援者として記載されているためである。しかし、この説には異論もあり、リンカーン大司教であったRobert de Chesneyこそが法曹院の名称の由来であるという説もある。Chesneyは1161年に現在のSouthampton Building (リンカーン法曹院の東隣に位置する)が立っている土地にあった"Old Temple"を取得している。またChesneyはイングランド国王に大法官 (Chancellor)として仕えており、彼のこの役割がリンカーン法曹院の東にあるチャンスリー・レーン (Chancery Lane)という通りの名称の由来となったとされている。
リンカーン法曹院で特筆すべきはその荘厳な建築物であろう。15世紀後半から現存するオールド・ホールやチャンスリー・レーン側の門、17世紀に整備されたニュー・チャペルとニュー・スクウェア、そしてリンカーン・イン・フィールズ側のヴィクトリア朝時代の荘厳なゴシック建築でHardwick親子(父Philip Hardwickと息子Philip Charles Hardwick)が手がけたグレートホールと図書館などである。これらの建物は第二次世界大戦中のナチス・ドイツ軍によるイギリスへの空爆(ザ・ブリッツ)による被害を奇跡的に免れた。これらの建物はイギリス指定建造物一級に登録されている。リンカーン法曹院は、ロンドンの主要な観光スポットとは言い難いが、誰でもその敷地に無料で入ることができ、その美しい庭や建物を見学することが出来る。
現在の図書館はグレート・ホールの北端にある。グレート・ホールが建設された1843年から45年にかけて、図書館も作られた。その後、1872年にジョージ・ギルバート・スコットにより東側に増築されている。グレート・ホールが建築されるまでリンカーン法曹院図書館は1787年から1845年までは"No.2 Stone Buildings"、それ以前はオールド・ホール近くにあった。