ルシアン・ビアンキ(Lucien Bianchi 、1934年11月10日 - 1969年3月30日)、出生名:ルチアーノ・ビアンキ(Luciano Bianchi )は、ベルギーのレーシングドライバー。1968年のル・マン24時間レース勝者。
来歴・人物
イタリア・ミラノ出身[1][2][3]。父親はアルファロメオでエンジニアとして働いていた[1]。第二次世界大戦後、父と一緒にベルギーへ移住した[3]。
1951年、アルペンラリー(英語版)に初めて出場[1]。1957年から1959年までツール・ド・フランス(英語版)にオリヴィエ・ジャンドビアンのコ・ドライバーとして参戦し優勝した[1]。
1959年、モナコグランプリにENBよりF1にデビューするが、予選落ちに終わった。1961年、地元のベルギーグランプリで初めてF1の決勝レースに出走、6位に入り初入賞を記録した。以降は1965年までベルギーグランプリを中心に数戦出走した。
1968年はクーパーからF1復帰し、初戦のモナコグランプリで3位表彰台を獲得した。またスポーツカー・レースではアウトデルタから出走するかたわら、JWオートモーティブにブライアン・レッドマンの代役として加入[4]、アウトデルタが欠場した[5]ワトキンズグレンでのレースを制し[4]、ル・マン24時間にペドロ・ロドリゲスとフォード・GT40を駆って総合優勝した。年末に開催されたロンドン〜シドニー・マラソン(英語版)ではシトロエン・DS21をドライブ、優勝目前でコ・ドライバーのミスによりクラッシュして優勝を逃し、顔と膝を負傷した[6]。
1969年3月30日に開催されたル・マン・テストデイに出走中、運転していたアルファロメオ・33/3がミュルサンヌでコースアウトして電柱に衝突して炎上、死亡した[2][3][7]。34歳没。
家族
弟のマウロ・ビアンキは、1964年にアルピーヌのワークスチームに加入、1965年のニュルブルクリンク500kmではルシアンと組んで優勝した[2]。ルシアンが優勝した1968年のル・マン24時間でのレース中に事故を起こして火傷を負い[3]、翌1969年ルシアンの事故死を機にレースから引退した[3]。
大甥(マウロの孫)のジュール・ビアンキは2013年にF1デビューしたが、2014年日本グランプリでの事故が元で2015年に死去した。
レース成績
フォーミュラ1
(key)
ル・マン24時間
脚注
外部リンク
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主なドライバー |
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※太字はクーパーにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。 |
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