イアサント・リゴー による肖像画、1721年作、バーゼル市立美術館 所蔵。
サー ・ルーク・シャウブ (英語 : Sir Luke Schaub 、1690年 – 1758年 2月27日 )は、イギリスの外交官。神聖ローマ帝国駐在イギリス代理公使 (英語版 ) 、スペイン駐在イギリス代理公使 (英語版 ) 、フランス駐在イギリス大使 を歴任した。
生涯
スイス のバーゼル で生まれた[ 1] 。神聖ローマ帝国駐在イギリス特命全権公使 (英語版 ) の初代コバム男爵リチャード・テンプル (在任:1714年 – 1715年5月)の秘書を務め、コバム男爵の離任後から1716年12月に後任のアブラハム・スタンヤン が到着するまで代理公使 として、引き続きウィーン に残った[ 1] [ 2] 。1717年10月6日に帰国したが[ 3] 、1718年3月から5月には再び代理公使を務めた[ 2] 。外交官としての功績により、1717年1月にジェームズ・スタンホープ (後の初代スタンホープ伯爵)がシャウブに200ポンドの年金を与えることを出願し、さらに彼を腹心の秘書にした[ 1] 。シャウブはスタンホープに同伴して、1718年6月から7月にかけてパリ に滞在した後[ 4] 、8月にスペインに向かい[ 1] 、スタンホープは8月27日に出国したが[ 5] シャウブは以降1年ほどマドリード に留まった[ 5] 。1720年に四国同盟戦争 が終結して英西間の外交関係が再開されると、シャウブは代理公使としてマドリードに派遣され、1720年2月8日に到着した[ 5] 。正式な公使として派遣されたウィリアム・スタンホープ が1720年6月18日にマドリードに到着すると、シャウブは7月21日に出国した[ 5] 。その後、ハノーファー に派遣され、同じくジョージ1世 を君主として戴くイギリス・ハノーファー両宮廷の友好を保った[ 1] 。1720年10月8日、騎士爵 に叙された[ 1] 。
1721年にスタンホープ伯爵が死去すると、シャウブは第2代カートレット男爵ジョン・カートレット に接近した[ 1] 。シャウブがフランスのギヨーム・デュボワ 枢機卿と親しい間柄にあったため、カートレットはシャウブがパリ 駐在公使として適任であると考え、1721年3月にシャウブをフランス駐在イギリス大使 として派遣[ 1] 、シャウブは3月11日頃に到着した[ 6] 。この派遣はスタンホープ伯爵の死がイギリスの対仏政策に悪影響を与えないという姿勢をフランスに示すためでもあったという[ 1] 。しかし、カートレット男爵の指名した人物であったため、タウンゼンド子爵 やロバート・ウォルポール に嫌われ、2人は1723年10月にウォルポールの弟ホレイショ・ウォルポール (後の初代ウォルポール男爵)をパリに派遣してシャウブの追い落としにかかった[ 1] 。このような陰謀に加えてデュボワ枢機卿の死(1723年8月)、シャウブがジョージ1世の目には「家系にもコネにも見どころのない外国人」に映ったこともあり[ 1] 、シャウブは1724年5月に召還された[ 6] 。ウォルポールは以降もシャウブを疑いの目でみており、1736年にシャウブがパリ行きを準備しているとウォルポールはフランス駐在大使の初代ウォルドグレイヴ伯爵ジェームズ・ウォルドグレイヴ にシャウブへの疑いを述べた[ 1] 。
1730年、国王ジョージ2世 (ハノーファー選帝侯を兼任)とポーランド王アウグスト2世 (ザクセン選帝侯を兼任)の間の条約を交渉するためにポーランドに派遣され、同年11月8日から12月3日にかけてドレスデン に滞在した後、12月10日にワルシャワ に到着した[ 7] 。翌年3月16日にはドレスデン に戻り、11月3日に出国した[ 7] 。
1758年2月27日に死去した[ 1] 。
人物
シャウブの署名(下)、1734年。
身長が低かった[ 1] 。ジョージ2世 の話し相手の1人であり、キャロライン王妃 への影響力もあったという[ 1] 。
家族
フランスのニーム 出身の未亡人(1793年8月25日、ハンプトン・コート宮殿 にて没)と結婚した[ 1] 。
フレデリカ・オーガスタ(Frederica Augusta ) - 1767年、ウィリアム・ロック(William Lock )と結婚
出典
^ a b c d e f g h i j k l m n o p Courtney, William Prideaux (1897). "Schaub, Luke" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 50. London: Smith, Elder & Co . pp. 412–413.
^ a b Horn, David Bayne (1932). British Diplomatic Representatives (英語). Vol. XLVI. Offices of the Society. p. 33.
^ Horn, David Bayne (1932). British Diplomatic Representatives (英語). Vol. XLVI. Offices of the Society. p. 34.
^ Horn, David Bayne (1932). British Diplomatic Representatives (英語). Vol. XLVI. Offices of the Society. p. 15.
^ a b c d Horn, David Bayne (1932). British Diplomatic Representatives (英語). Vol. XLVI. Offices of the Society. pp. 132–133.
^ a b Horn, David Bayne (1932). British Diplomatic Representatives (英語). Vol. XLVI. Offices of the Society. p. 17.
^ a b Horn, David Bayne (1932). British Diplomatic Representatives (英語). Vol. XLVI. Offices of the Society. p. 90.
関連図書