今村 頼刧[2](いまむら よりひさ/よりかず、生没年不詳)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。
相良氏6代当主相良定頼の次男、薩摩今村氏の祖。通称は藤太。別名は頼而。
明徳5年(1394年)に日向国都城で共に戦死した相良前頼、丸目頼書、青井前成、丸野頼成の4人とは兄弟。子孫が薩摩国に下り、今村氏を名乗った。
脚注
- ^ 『京城人物 永楽情報 第10巻』(「今村純義」項より), 『大日本醫家實家傳』石戸頼一著、明治26年(1893)、(「今村縫之助」項より), 『鹿児島市内の石刻資料人名』土肥克己著, 『断家譜』巻2(藤原姓今村氏)[1]
- ^ 「頼劫」は異字体で頼刧と同じ。退くの意味になる「×頼却」は誤字。
参考文献