国津御祖神社
国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。本項目では、国津御祖神社と同座する、内宮末社の葦立弖神社(あしだてじんじゃ)についても記述する。 概要三重県伊勢市楠部町字尾崎2132[3]、五十鈴橋のそばに鎮座する大土御祖神社・宇治乃奴鬼神社の参道を奥へ進んだところに鎮座する[4]。 社地は「茶屋の森」と呼ばれる[5]。社地の面積は370.87坪(≒1,226m2)[6]。『皇大神宮儀式帳』に「坐地大土神社之四至内」とあり、平安時代より大土御祖神社と同じ地に鎮座していたことが窺える[3]。 2社は同座しており、社殿は1つである。神明造板葺の社殿は南の方角を向いており、一重の玉垣に囲まれている[7]。賽銭箱は置かれていない。『皇大神宮儀式帳』によれば、社殿は板葺ではなく萱葺であったという[7]。 国津御祖神社国津御祖神社は、内宮の摂社27社のうち第11位である[8]。 祭神は宇治比賣命(うじひめのみこと)・田村比賣命(たむらひめのみこと)[1][2]。2柱とも国生(くなり)の神の御子であり[2]、産土神であるという[1]。田村比賣命を「村田比賣命」と記載する古書も多いが、誤記と見られる[3]。 祭神が国生の神の御子であることから「御子社」の別名がある[9]。ほかに用例は少ないものの、「一本社」・「一元社」の異称もある[9]。 葦立弖神社葦立弖神社は、内宮の末社16社のうち、第14位である[10]。社殿は中絶し、国津御祖神社に同座する[11]。 祭神は玉移良比女命(たまやらひめのみこと)[1][2]。宇治都比女命(うじつひめのみこと)の子であるとされ、産土神であるという[1][2]。宇治都比女命は国津御祖神社の祭神・宇治比賣命と同じであると考えられている[12]。 歴史伊勢神宮の摂社の定義より『延喜式神名帳』成立、すなわち延長5年(927年)以前に創建された[13]。『皇大神宮儀式帳』にも「国津御祖社」として記載がある[9]ことから延暦23年(804年)以前から存在した[13]ことになる。 中世以後、祭祀が断絶し、寛文3年12月22日(グレゴリオ暦:1664年1月20日)に遷御(せんぎょ)の儀を行い再興された[3]。大土御祖神社の旧社地を特定が容易であった[14]ため、同じ社地の国津御祖神社も労せず旧地に復興された[3]。明治4年(1871年)に葦立弖神社を国津御祖神社へ同座させる[12]。 社殿は1914年(大正3年)に造り替えられた[15]。45年後の1959年(昭和34年)7月に建て替えられ、1982年(昭和57年)10月に大修繕が施された[7]。 祭祀国津御祖神社で行われる祭祀は、大土御祖神社と同じである[7]。すなわち、巡回祭典の形で祈年祭(2月)、月次祭(6月・12月)、神嘗祭(10月)、新嘗祭(11月)の際は社殿の前で祭祀が行われ、歳旦祭(1月)、元始祭(1月)、建国記念祭(2月11日)、風日祈祭(5月・8月)、天長祭(12月23日)は遥祀を催行する[16]。 植物相大土御祖神社と同じ社地に鎮座するため、植物相も同じである[7]。 1977年(昭和52年)に行われた境内の立木調査によると、カヤノキ・マキ・スギ・ヒノキ・カシ・シイ・クスノキ・ヤブニッケイ・シロダモ・タブ・トベラ・モチノキ・ヤブツバキを主要樹種とし、計258本あった[6]。 交通国津御祖神社・葦立弖神社の東には神宮神田が広がる[1]。付近には伊勢市立四郷小学校、伊勢市役所四郷支所、櫲樟尾神社(くすおじんじゃ)がある。
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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