土井 利意(どい としもと)は、三河西尾藩の第2代藩主。刈谷藩土井家2代。
生涯
寛文4年(1664年)、老中で相模小田原藩主の稲葉正則の七男として生まれる。延宝3年(1675年)に西尾藩主土井利長の養子となる。延宝9年(1681年)4月13日に利長が隠居したのにともない家督を継いだ。税制改革や農政に尽力し善政を行なった名君として知られる。
宝永元年(1704年)10月9日に奏者番に任じられ、山城守に任官された。正徳3年(1713年)3月28日、寺社奉行を兼任の形で任じられた。藩政では徳川氏ゆかりの松應寺修理で功績を挙げた。また、貞享3年(1686年)には領地が隣接していた高家の吉良義央と、領地の境界線をめぐって争っている。宝永4年(1707年)の大地震(宝永地震)では大被害を受け、救済に努めている。
享保9年(1724年)閏4月27日に死去した。享年61。跡を養子の利庸が継いだ。
系譜
父母
正室、継室
子女
養女
脚注
- ^ 『系図家譜』(愛知県図書館蔵)
- ^ 『系図家譜』(愛知県図書館蔵)では六男。
土井家 西尾藩2代藩主 (1681年 - 1724年) |
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本多家 | |
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大給松平家 | |
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本多家 | |
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土井家 | |
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