憲法問題研究会(けんぽうもんだいけんきゅうかい)は、大内兵衛、宮沢俊義、我妻栄らが中心となり、1958年(昭和33年)6月8日に東京・京都の知識人が創立した団体である[1][2]。1976年(昭和51年)4月の解散[3]まで、法曹界だけでなく、当時の学界の粋が結集し、日本国憲法について互いの知見を啓発し、講演会を通じ啓蒙的活動をした。
沿革
1956年6月11日、岸信介ら60人の議員立法による憲法調査会法が公布・施行された。1957年2月25日、岸は内閣総理大臣に就任。同年8月13日、岸内閣は自主憲法制定ないしは憲法改正を目指し、憲法調査会法にもとづく「憲法調査会」を設置した[4][5][注 1]。政府は宮澤俊義、我妻栄、清宮四郎に憲法調査会への参加を求めたが、3人はいずれもこれを断った。
政府の動きに対抗すべく、1958年6月8日、大内兵衛、宮澤俊義、我妻栄、清宮四郎、茅誠司、恒藤恭、矢内原忠雄、湯川秀樹ら8人が発起人となり「憲法問題研究会」が結成された。50人あまりの知識人が同研究会に集まり、大内が代表世話人を務めた[1][7][8]。
1960年5月3日には、主催講演会で、丸山真男「現代における態度決定」など、安保条約の国会審議を慎重にと声明をだした[9]。1964年5月3日には、憲法調査会の多数意見や、伝統と自由の名による憲法改悪に反対する声明をだした[10]。
会員
東京側
有沢広巳、家永三郎、入江啓四郎、鵜飼信成、大内兵衛、大河内一男、戒能通孝、菊池勇夫、城戸又一、清宮四郎、久野収、佐藤功、高木八尺、竹内好、谷川徹三、辻清明、都留重人、中野好夫、中村哲、南原繁、野村平爾、真野毅、丸山真男、峯村光郎、宮沢俊義、務台理作、宗像誠也、我妻栄。
京都側
青山秀夫、浅井清信、磯村哲、井上清、猪木正道、岡本清一、大西芳雄、加藤新平、貝塚茂樹、河野健二、黒田了一、桑原武夫、佐伯千仭、島恭彦、末川博、田畑茂二郎、田畑忍、俵静夫、恒藤恭、名和統一、前芝確三、松井清、松田道雄、森義宣、湯川秀樹、吉村正一郎[11]。
会の著作物
脚注
注釈
- ^ 岸信介は内閣総理大臣就任から2日後の1957年2月27日、参議院本会議における日本社会党からの代表質問に対し次のように答えている。「私は、自主憲法を作るという考えを持っております。(中略)私が、自主憲法制定論者であるということは御指摘の通りでありますが、それは、ちっとも日本憲法に対する尊重の念を私は傷けるものではないと思っております」[6]
出典
参考文献
関連項目
外部リンク