扉の冬
『扉の冬』(とびらのふゆ)は、1973年9月21日吉田美奈子通算1作目のスタジオ・アルバム。 に発売された背景1969年吉田美奈子は東邦音楽大学付属高等学校のフルート学科に入学。友人とエイプリル・フールを見に行ったことから知り合った細野晴臣、松本隆の勧めで曲を書くようになり、やがて第一期ブルース・クリエーションのベーシストだった野地義行とのデュオ“ぱふ”を結成した。吉田によれば「どうも小さい頃から低音部が好きだったんです。で、ピアノとエレクトリック・ベースとのデュオっておもしろいと思って。私はコードを弾きながら歌う、その間を、ルートじゃなくメロディ・ラインを弾くベースがずっと縫っていくという…すごく斬新だったのよ、ぱふって」[1]という。 、ぱふの活動は1年足らずと短かった。が、その前から始まった細野らとの交流から、外の世界での活動が増えていった。初ステージは1969年東京キッドブラザースのミュージカルで、同劇団で演奏を担当していたエイプリル・フールをバックに、同じく美術を担当していたペーター佐藤とのデュエット。はっぴいえんどのライブに参加。やがて、ピアノの弾き語りでステージに立つようにもなった。その頃から、多くの人々が集まるペーターのアトリエ(2段ベッドを二つ装備していたという)に居候するようになり、そこから通学するようになった。アルバイトや夜はペーターのコラージュの手伝いなどをするうちに次第に学校への足が遠のき、“外に出たほうが面白いし学ぶことも多い”と、2年で学校をドロップ・アウトした[1]。 、都市センターホールで上演されていたぱふでの活動が終了した1970年大滝詠一『大瀧詠一』[注釈 1]や頭脳警察『頭脳警察セカンド』[注釈 2]に参加した。吉田によれば「はっぴいえんどにはピアノがいないじゃないですか。で、弾くことになったのだけれど、私はキーボード・プレイヤーじゃないですから本当にコード弾くだけのバックのピアノ。ただ、歌詞に合わせてグリスしたり、擬音を入れたりするのは得意でした。岡林信康さんのアルバムで初めて触るハモンドB-3を弾いたり、頭脳警察のアルバムでピアノ弾いたり…乱暴ですよね。やってみて、失敗して、失礼しましたって言って。でも何でも試した。本当ですか?っていう仕事、いっぱいやってます」[1]と、インタビューで答えている。 からは自身のライブ活動と並行してスタジオでセッションの仕事もするようになり、録音、制作1971年トリオ・レコード傘下のレーベル“ショーボート”と契約。翌1972年 、キャラメル・ママをバックに、ファースト・ソロ・アルバムの本作『扉の冬』が制作された。アルバムについて吉田は「ティン・パン・アレーなんかのツアーに参加していたこともあって、ショーボート・レーベルから話を持ちかけられ、まあ1枚って。ピアノ弾きながら歌ったんです。だからピアノと歌の呼吸が混ざったプリミティヴな状態がそのまま出てる。私はそんなに融通が利かないから、一番やりやすい方法ということで、私のピアノと歌に合わせて、キャラメル・ママにサウンドを付けてもらうという感じでした」[1]としている。『扉の冬』は全曲、吉田の作。プロデュースは細野、吉田、吉野金次、アレンジには吉田とキャラメル・ママの名前がクレジットされている[1]。 、当時所属していたプロダクション“風都市”を通じてJASRACに於いては、本作収録作品はすべて「出典:PO (出版者作品届)」と登録されているもののJASRAC作品データベースに特定の出版者は掲載されていない[2]。故に本作収録作品の著作権表記はすべて“©1973 by MINAKO YOSHIDA.”となる[2]。 音楽性、作曲、構成本作において、ブラック・ミュージックが細やかに伝わってくる、洗練された演奏。だが、コアにあるのはピアノと歌、それもとても静謐なそれ。歌の感じがずいぶんと違う印象があるがそれは、弾き語りだったからだろうと、吉田は言う[1]。吉田がシンガー・ソングライターとして歩みだす最初期以前から彼女を知る、身近な仲間のサポートを得て現出した吉田美奈子の世界、音楽だった[1]。 A-4「ねこ」とA-3「扉の冬」はシングル・カットされ、アルバムと同日発売された[注釈 3]。A-4「ねこ」、B-1「変奏」、B-4「週末」はアルバム発売と同日、文京公会堂にて行われたはっぴいえんどラスト・ライヴ“CITY -LAST TIME AROUND-”でも演奏され、ライブ・アルバム[注釈 4]にも収録された。1975年 のフル・バンド・ライブを収めた『MINAKO II –Live at Sun Plaza Hall October 3,1975–』[注釈 5]では、佐藤博アレンジによる、メドレー形式で「外はみんな」「扉の冬」「かびん」「週末」の歌唱が収録されている。 アートワーク、パッケージジャケットはゲートフォールド仕様で内側の見開きには井出情児撮影による吉田の写真が右側に、キャラメル・ママのメンバー個別の写真が左側に、それぞれ掲載されている。 アルバムの帯(茶帯)には以下のキャッチコピーが記載されている。
その後、同一品番でシングル・ジャケットに変更後、帯(青帯)のキャッチコピーは以下のように変更された。
収録曲SIDE A
SIDE B
クレジット
発売形態
関連作品
脚注注釈
出典外部リンク
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