横瀬 貞顕(よこせ さだあきら)は、江戸時代前期から中期にかけの高家旗本。高家横瀬家(表高家)の祖。官位は従四位下・侍従、駿河守。
略歴
万治元年(1658年)、由良貞房の四男として誕生。寛文9年(1669年)4月21日、4代将軍・徳川家綱に御目見する。
延宝6年(1678年)3月29日、書院番に加えられる。延宝8年(1680年)3月26日、蔵米300俵を賜る。元禄2年(1689年)閏1月26日、表高家衆に加えられる。元禄12年(1699年)11月28日、高家職に就き、従五位下・侍従・美濃守に叙任する。後に従四位下に昇進し、駿河守に改める。また、蔵米を改め、下野足利郡内において600石を与えられる。元禄15年12月22日(1703年)、加増されて1000石を知行することになる。享保13年12月4日(1729年)、老齢を理由に高家を辞職する。
享保14年(1729年)3月26日、隠居する。長男の貞国に家督を譲る。同年8月26日死去。享年72。
系譜